建築に隠された謎を解き明かす“建築探偵”としてもお馴染み、建築史家・建築家の藤森照信センセイ。大和絵や浮世絵の様式を用いた緻密な画風で知られ、『ヘンな日本美術史』でその視点の鋭さをいかんなく発揮した山口晃画伯。この2人が13の日本の名建築を訪ねて、お互いの知識と感性をぶつけ合った対談が、面白くないはずがない。山口画伯によるエッセイ漫画まで添えられているのだから、読まずにいられるはずがない。
画伯とセンセイの組み合わせと聞くと、自由奔放な芸術家に手を焼く真面目な指導役が想像されるが、この2人の場合は全く逆。同行している編集者のちょっとした段取りの悪さが気になってしょうがない細やかな画伯が、周りの目を気にすることなくズカズカと進んでいくセンセイに突っ込みを入れながら、名建築の真髄に迫っていく、という構成である。2人の漫才のような掛け合いに、何度も吹き出してしまう。いつまでも読んでいたいと思うほどに、心地よい。
もちろん、この2人のやり取りはただただ愉快なだけではない。当たり前だと考えていたことや、なんとなく通り過ぎてしまうものも、2人にかかれば新たな事実が浮かび上がってくる。藤森センセイによると、小学校のときに習った、「円柱の中部から上部が細っていく法隆寺の柱は、古代ギリシャの技術に由来を持つエンタシス形状である」、というのは誤りだそうだ。
法隆寺の柱には「胴張り」という世界で唯一の技術が用いられており、ギリシャのエンタシスとは何のゆかりもないという。それでは、法隆寺の技術はどこに起源があるのかというと、これがよく分からない。日本建築史の創始者・伊東忠太が中国からギリシャまでを歩いて回っても、その繋がりの痕跡は認められなかったのだ。藤森センセイは、この素姓のわからない法隆寺の胴張を、比べることのできない「世界に1人だけの女」に例える。小学校の修学旅行のときに、「あー、教科書の写真のまんまだ」と素通りしてしまった柱に、こんな興味深い歴史があったとは。
制作背景に関する資料が極端に少なく未だに多くの謎に包まれているのが、豊臣秀吉を迎えるために千利休が用意した国宝の茶室、待案である。1.8メートル四方というこの狭小空間で戸を閉め切り、しっかりとありのままの姿を見つめることで、山口画伯は記録に残されていない利休の意図に迫っていく。
藁すさや土の濃淡が絵画の構成単位のように作用して、面より奥行きを感じられるようになって、部屋が広がった感じがする。そこに障子や腰張りの織り成すリズムみたいなものが見えてくるんですね。
名建築の背後にある歴史についての確かな知識を基にした分析眼。目の前に広がる光景を素直に感じ、見つめる感性。この2つがあれば、建築とはこれほど楽しいものだったのか。訪れたことがある建築にはもう一度、訪れたことのない建築にはできるだけ早く、本書を片手に行ってみたくなる。
本書で紹介される13の建築は以下の通り。京都の建築が5つと最も多いが、1つも行ったことがない。6年間も京都に住んでいたのに、、、
- 法隆寺 奈良県生駒郡
- 日吉大社 滋賀県大津市
- 旧岩崎家住宅 東京都台東区
- 投入堂 鳥取県東伯郡
- 聴竹居 京都府乙訓郡
- 待庵 京都府乙訓郡
- 修学院離宮 京都市左京区
- 旧閑谷学校 岡山県備前市
- 箱木千年家 兵庫県神戸市
- 角屋 京都市下京区
- 松本城 長野県松本市
- 三溪園 神奈川県横浜市
- 西本願寺 京都市下京区
ちなみに、13の建築で関東にあるのは旧岩崎家住宅と三溪園しかなく、旧岩崎家住宅には行ったことがある。ということで、三溪園に行ってきた。
JR根岸駅から車で5分ほど行ったところに、突如広大な緑が現れる。横浜市内にこんな場所があったとは。入口では、人懐っこい猫が迎えてくれる。
5万3000坪という、私邸であったとは思えないほどの敷地に夏の緑と京都などから移築された多くの古建築が映える。街中は35℃を超えるほどの暑さだったが、木陰に入ると意外なほど冷やりとしている。
もともとは和歌山に建てられていた数寄屋風書院造りの臨春閣。山口画伯がまじまじと見つめても複製とは気付かなかった襖絵はこれだろうか。二階には公家たちに書かせた和歌が貼ってあったり、山水画風の襖絵があったりするそうだが、一般客は中には入れません。ぐぬぬ。
本を読んで最も楽しみにしていたのがこちら、京都二条城内にあったと言われ、藤森センセイが東の桂離宮と呼ぶ聴秋閣。2畳ほどの2階からの眺めは絶景だそうだが、こちらも中には入れません。藤森センセイは取材と称して、寝転がったりしていたというのに。ぐぬぬぬ。
臨春閣、聴秋閣の中には入れなかったが、センセイと画伯は時間がなくてパスした松風閣の展望台からの眺めを楽しもうとではないか。と思ったのだが、なんと、「スズメバチ発生のため進入禁止」の文字が(2013年8月4日時点)。ぐぬぬぬぬぬ。
とはいえ、本書のおかげでいつもなら通り過ぎでしまいそうなところまで、古建築をじっくり堪能できた。本書とあわせてオススメの場所である。
知識欲を掻き立てる本、感情を揺さぶる本、驚愕の事実にハッとする本。良い本には色々なタイプがあるが、本書はお出かけしたくなる本である。本書を読むと、紹介されている建築を訪ねたくなり、じっとしていられなくなること請け合いだ。私も、まんまと動かされてしまった。そして、次回はどこに行こうかと計画中だ。夏休みの行き先が決まっていない方は、本書とともに名建築を訪ねてはいかがだろうか。
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藤森センセイが世界の建築の歴史を巡り、建築の原点を考察していく。日本の寺社仏閣はなぜ横長で、キリスト教の建築はなぜ縦長なのか。茶室はどのような文脈で誕生したのか。目の離せない論考が続く。
日本美術に秘められた、”ヘンなところ”を見つめることで、その独自性を明らかにしていく。新井文月のレビューはこちら。
美術品を頼りに、それを生み出してきた文化の背景を探る一冊。中国出身の著者だからこその視点で、日本と中国の関係を解き明かす。少しずつ謎が解き明かされていく展開にぐいぐいと引き込まれてしまうこと請け合い。レビューはこちら。