どれほどの絶望を、乗り越えなければならなかったのか。
第一次大戦中に捕虜として拘禁された収容所から脱走を試みること6回。その全てが失敗に終わった。ナチス占領下のフランスを離れイギリスで行っていたレジスタンス活動のために反逆者と呼ばれ、祖国から死刑判決を言い渡された。起死回生を期した軍事作戦の失敗で英首相チャーチルの信頼を失い、自ら命を絶つことすら考えた。
普通の神経なら、並みの人生なら、1つだけでも立ち直れなくなるほどの失敗を何度も乗り越え、彼は2度祖国を救った。そして、フランスの英雄となった。
シャルル・ドゴール。その名はフランスの国際空港から広場、果ては原子力空母にまで刻まれる。2010年の調査でも、フランス人の70%がこの男を「フランスで最も重要な歴史人物」として挙げたという。国民投票での敗北によりその政治生命に終止符を打ったドゴールが、なぜ今でもこれほど支持されているのか。「ドゴール主義」と呼ばれた彼の思想と行動を支えたものは何だったのか。
フランスでの人気とは裏腹に、他国でのドゴールの評価は高くない。アメリカ『タイム』誌が1998年に発表した「20世紀で最も影響を与えた指導者・革命家」リストに、彼の名前は見当たらない。日本でも、軍人政治家ドゴールには独裁者というイメージが付きまとい、その功績を歴史的に読み解き直す取り組みは少ない。しかし、本書を読み進めるほどに、彼が現在のヨーロッパを形成するために果たした役割の大きさが実感される。ドゴールのリーダーシップがなければ、世界は大きく変わっていただろう。
在仏日本大使館公使としての経験を持つ著者は、執筆に10年以上を費やしたという本書で、ドゴールの全生涯を明らかにする。ディテールにこだわった描写のおかげで、彼が生きた時代の空気がひしひしと伝わってくる。例えば、1946年にドゴールが首相を辞任し移り住んだ家は、「庭に突き出した三つの長扉の窓、柏の木で制作された重厚な家具のおいてある食堂、田舎くさい古風な緑色の壁布が張られたサロン‐それは地方のブルジョワの佇まいであった。」と表現され、書棚の書籍や壁に張られた写真についての言及が続く。1人の男の人生の細部にこだわりながらも、本書のスケールが小さくまとまらず、激動の20世紀のうねりを描き出すことに成功しているのは、ドゴールのスケールの大きさのおかげだろうか。
ドゴールは、収容所という過酷な環境においても本を貪り読み、捕虜仲間に歴史の講義をするほどの知性、行動力、そして強い意志を持っていた。その人生に触れるほど、彼が今でもフランス国民から愛される理由がよくわかる。1940年6月18日、BBCのラジオから祖国へ向けたドゴールの演説がなければ、フランスは対独協力政権のまま敗戦国として第二次世界大戦を終えていたかもしれない。1958年にアルジェリアでの混乱を収めるためにドゴールが政界に復帰しなければ、フランスは植民地との本格的な内戦に突入していたかもしれない。
第5章「同盟も自立も」で100頁を費やして記される、冷戦中のヨーロッパの安全保障、フランスの核武装を巡るドゴールとアメリカの交渉経緯を知ると、現在の日本とアメリカの関係を顧みずにはいられない。あらゆる面で圧倒的な力を持つアメリカに対して、自説を押し通すことが困難なのは、どの国も同じである。与えられた状況の中、いかに現実的な手段で「行動の自由(選択肢)の範囲」を広げるかを模索し続け、自立を目指したフランスと、アメリカに頼り切る日本との差はあまりに大きい。
二度の大戦でアメリカがその重い腰を上げるまでに、ヨーロッパでどれほど多くの血が流れたかをその身で知るドゴールには、依存することのリスクが痛いほど感じられたのだろう。著者は、日米同盟には重要な点が欠落しているという。
[日本が危機に陥った時]アメリカからの支援が期待通りのものでありうるのか。それは基本的な問いであるはずであり、北朝鮮や中国との関係をめぐる議論の中にも潜在化している([]内引用者)
ドゴールには、不思議な二面性も見て取れる。徹底した合理主義者のように見えて、突然明確な理由もないまま首相を辞任してしまう。冷徹な現実主義者のようでありながら、理想を諦めない。そして、ポピュリズムとその表れとしての政党政治を毛嫌いしながら、いざという時には国民投票によって国民に判断を委ねる。この国民投票は、ドゴールにとっても両刃の剣であった。移ろいやすい大衆は、ときにドゴールを熱狂で迎え入れ、ときに拒絶した。そして、ドゴールが求められたのはいつも危機のときだった。危機が去れば、強力なリーダーは疎まれる。今の日本の政治にリーダーが現れないのは、日本が危機を迎えてないからだとは思えない。ドゴールが、国とは、民主主義とは、リーダーシップとは何かを問いかけてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1890年生まれのドゴールよりも、16歳年上のチャーチル。第二次大戦時のヨーロッパを語るためにはこの男も欠かせない。野中郁次郎氏の手による解説も必読。HONZでは、成毛眞のレビューと鰐部祥平のレビューがある。
こちらは、ドゴールやチャーチルとは随分毛色の違うリーダーについての一冊。副題に「マーケティングで政治を変えた大統領 」とあるように、サルコジの世論を巻き込むやり口には舌を巻く。成毛眞のレビューはこちら。
歴史上において大きな意味を持っている外交交渉はどのように進められていたのか。ポーツマス条約、パリ講和会議など、ひりつくような交渉現場の実態が明らかになる。レビューはこちら。