イギリス史上もっとも偉大な宰相、サー・ウィンストン・チャーチルは1965年1月24日、90歳の天寿をまっとうした。葬儀はセントポール寺院で行われ、エリザベス女王も出席した。イギリスには君主は臣民の葬儀に出席しないという慣例があったが、初めて破られた事例であったといわれる。
チャーチルは第2次世界大戦の英雄であり、ノーベル文学賞受賞者であり、高名な画家でもあった。チャーチルは帝国主義者であり、従軍記者であり、なによりも議会人だった。
チャーチルはマールバラ公爵の子孫として1874年11月、出産予定日より2ヶ月早く生まれてきた。著者によれば予想外、性急、リスク、危険、ドラマというチャーチルらしい生まれ方だったという。19歳で軽騎兵として軍隊に入隊するまでの学生時代は、一貫して成績が悪かった。いつも劣等生クラスに配属されたが、素晴らしい英語の能力だけは身につけた。
チャーチルは人生で大きな挫折を6回は経験している。最後の挫折は開戦以来首相兼国防大臣として粉骨砕身し、遂に対ドイツ戦で英国を勝利に導き、自由と民主主義を守ったにも関わらず、なんと日本が降伏する直前の総選挙で負け下野したことである。チャーチルの人生は、20世紀前半という戦乱と科学の時代を背景に、じつに起伏にとんだものであり、凡百の小説の主人公がはるかに霞んで見える、奇跡的なものだった。
本書のそのチャーチルを一筆書きのように描いた短い評伝である。記述は端的であり、飾り立てるためだけの形容詞が一切ない。チャーチルの類まれな能力について感嘆をもって記述しながらも、たとえば第6章ではその能力を発揮することができた外部環境について10項目に分類してきちんと検討している。けっして暇つぶしのための読み物で終わっていないのだ。
本体のページ数は260ページあまり。文字も大きくゆったりとした紙面だから、数時間で読み終わることができるだろう。しかし、リーダーシップ論として読みたい読者のためには、『失敗の本質』で人気の高い野中郁次郎の解説も用意されている。この50ページにおよぶ論文だけも読む価値があろう。
ところで3年ほど前、チャーチルが生まれたブレナム宮に行ってみたことがある。オックスフォード大学が近くにあるその世界遺産の敷地面積は810ヘクタール。皇居は115ヘクタールだから、なんと皇居の7倍にもおよぶ。
偉大なるリーダーを生んだ環境を見ておこうと思ったのだが、なんと広大な庭園の彼方に地平線が広がっていたのだ。そういえば坂本龍馬も勝海舟も水平線を見ていたはずだ。以遠を見ることこそがリーダーの条件なのかもしれない。
(6月10日月刊プレジデント掲載)
鰐部祥平によるレビューはこちら。