太平洋戦争における日本軍の失敗を研究した『失敗の本質』は文庫版だけでも発行部数56万部を超える経営学(組織論)の名著だ。カバーされている戦闘はノモンハン事件、ミッドウェイ海戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦の6つ。太平洋戦争以前に発生し停戦協定をもって終結したノモンハン事件を除けば、すべてミッドウェイ以降の負け戦(いくさ)である。逆にいうと日本軍はミッドウェイまで負けてはいなかった。むしろ勝ち続けていたのである。日本帝国海軍が大敗を喫したミッドウェイこそが第2次世界大戦の転換点だった。
本書はこれまで日の当たらなかった「日本が勝っていた期間」、真珠湾攻撃からミッドウェイまでの史実を丹念に掘り起こした読み物である。この6ヶ月間は戦中戦後を通してアメリカにとっては屈辱の期間だったし、戦後の日本でこの6ヶ月間を語ることは、太平洋戦争を美化・正当化していると受け取られかねない微妙な期間でもあった。したがって、本書をもってこの6ヶ月間を描いた読み物の白眉とすることに異存を唱える者はいないであろう。
「禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄の如し」
太平洋戦争時の日米海軍はまさにこの言葉がふさわしい。極めて独創的な日本の航空母艦艦隊による真珠湾攻撃。真珠湾でほぼすべての戦艦を失ったがゆえに航空母艦にシフトしたアメリカ。超戦艦「大和」級を温存できたがゆえに時代遅れになってしまった日本。まさに2本の糸が互いの表裏に回り込みながら、1本の太い縄を形作っているようだ。
しかし本書は、この有名な縄の物語のはるか以前、19世紀後半から話をはじめる。1890年、アメリカの歴史家であり戦略家だったアルフレッド・マハンが『海上権力史論』を出版した。現代でも有効なシーパワー、制海権、海上封鎖などという概念とともに、太平洋戦争の命運を決した大艦巨砲主義を提唱したのだ。この著作から真珠湾攻撃までの間、先進国は大戦艦を建造しつづけることになった。じっさい1906年、イギリスはドレッドノート級という当時の超戦艦を進水させた。この時世界に与えた衝撃の大きさは「超ド級」という言葉が現在でも使われていることで良く判るはずだ。
ところが、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六だけが、この大艦巨砲主義という当時不偏のドクトリンから一人離れ、現代まで有効な航空母艦艦隊という概念をつくりだしたのだ。上巻では山本五十六というじつに魅力的な個性が光る。現代のアメリカ人からみても尊敬するべき人物像として描かれているのだ。その神の如き山本五十六がミッドウェイ海戦で果たした役割とはなんだったのか、読者は下巻最終章まで一気に引き込まれて行くことになる。
山本提督が1本の糸だとしたら、アメリカ海軍のニミッツ提督やスプルーアンス提督はもう1本の糸だ。しかし、本書では提督たちだけでなく、敵艦に突っ込まざるを得なくなった日本人パイロットや、訓練もないままミッドウェイに投入された爆撃機のアメリカ人指揮官など、すべて実名で登場する戦闘員たちも1本の糸として描かれている。それゆえに読者は、鳥瞰と仰視、ミクロとマクロ、個人と国家、作戦と戦略、の2点間を目まぐるしく行き来する著者の視点の動きを楽しむことができる。
本書はけっしてマニアのための戦史書ではない。個別の戦闘の詳細を描きながらも、そこで行われた残虐行為や、そこに至る国家の思想や価値観なども描かれている。歴史認識問題に関わる内容もあるため、そのいちいちの正否について論じるつもりはない。しかし、微妙な問題であってもその扱い方は国際基準からみてフェアだといえるだろう。すくなくとも戦時中の日本軍の行為が国外からどう見られているかを知るためのテキストにもなっているはずだ。
引用されている日本語の文章はすべて当時の軍隊記法のままだから、重厚で緊迫感が伝わってくる。訳はもちろん、使われている図版やソースノートなども丁寧で適切。『失敗の本質』と同様、ビジネスマンにこそ読んで貰いたい素晴らしい本だ。本書をもって2013年3冊目のNo.1としよう。