我が国における生後一ヶ月以内の赤ちゃん1000人あたりの死亡数(新生児死亡率)をご存じだろうか?わずか“1”である。お産における赤ちゃんの死亡(周産期死亡率)は、これより多いが、それでも1000人あたりおおよそ4人。もちろん世界の最高水準。先天性の異常など防ぎえない場合もあるので、すでに医療の限界とされている。
フィリピンでの新生児死亡率はどれくらいかというと、14。これは、半世紀前の日本と同じレベルでしかない。周産期死亡率というのは、日本ですら統計がとられだしたのが30年少し前からである。まともな出産援助を受けない人もたくさんいるフィリピンでは、正確な統計は望むべくもないだろう。
そのフィリピン、生まれてすぐに亡くなってしまう赤ちゃんがいるだけではない。生まれる前から売られていくことが決められている赤ちゃんもいる。かわいそうである。が、そんな赤ちゃんでさえ、この世に生を受けられただけよしとしなければならないのかもしれない。カトリック教徒がメインの国、中絶は犯罪であるが、闇で堕胎をうけおうヒーロットとい呼ばれる人までいるのだから。
そんなことを生業にする冷血な人間がいるのか、と憤るのはたやすい。しかし、十分な教育をうけておらず、家族計画を理解できないような人が、望まない妊娠をし続けてしまったらどうすればいいというのだろう。この本に紹介されているヒーロットの家の前には、赤ん坊がよく捨てられるが、そのヒーロットは、カトリックの精神で、捨てられた赤ん坊をたくさん育てているという。すべてのことを『神様からの使命なのだ』と語りながら。物事はそう単純ではないのである。
貧民街、といっていいだろう。1991年のピナツボ山噴火ですべてを失った被災民たちが暮らす、ゴミの山がすぐ近くにある場所で、助産師として働く冨田さんによる現地レポートだ。いや、助産師として働く、というのは正しくないかもしれない。原則として外国人による医療を認めていないフィリピンで、特別な許可をもらい、ボランティアとしてお産を見守り助けている人だから。状況はすこしずつ改善されてきているそうだが、ヒーロットの話をはじめ、あまりのひどさに信じられないような話ばかりが紹介されていく。
お産には文化がある、とはよく言われることであるし、いろいろな国において、そのやり方に違いがあるのはいいだろう。しかし、安全面に問題があるような手技もが一般的におこなわれているというのはいただけない。社会のヒエラルキーが大きく、貧しい人たちよりも助産師たちの地位がはるかに高いために、おかしいと思っても注文をつけられないというのだからなおさらだ。
そんな中、胎児の心音を聞くラッパのような道具であるトラウベだけをたよりに、小さなクリニックを開いている。妊婦たちに指導しても守ってもらえないことなど、しょっちゅうである。そんな状況で全力をつくしながら、救いえなかった赤ちゃんの命には、ああすればよかったのではないかと悩み、自問する。
この本を読んだ誰もが、この人はどうしてここまでがんばるのだろうかという疑問を抱くだろう。その素朴な疑問は読者だけのものではない。生まれてすぐに赤ちゃんを売らなければならなかった売春で生活する女性も、どうしてクリニックを開いたのかと尋ねたという。その時、一瞬ためらった後に答えた言葉は『たぶん運命』。
その『運命』にしたがいながら、たくさんの妊婦さんや赤ちゃんの運命が少しでもよくなるように働く毎日。泣き、笑い、怒り、喜び、が、めまぐるしくうつろいながら日々が過ぎていくさまがいきいきと描かれている。そんな日常、フィリピンのお産や医療の状況に憤りながらも、
“ここには大きな大きな幸せのエネルギーが溢れている”
と、クリニックにやってくる逞しく生きる人々に感謝する。
一方で、日本の現状に疑問を抱き、
”これが人間本来の姿だなと感じることは、ここで貧困層の人たちと暮らせばいろいろある。私たち日本人にこの強さがあるだろうか?ない。自分の姿をスタンダードと思い込むことで、私たちは本来持っていた能力を自覚することことなく自然への適応力を今後も失い、それによって起こっている障害・病気を改善する機会を失っている。物を持たない貧困層の人々から学ぶ姿勢すら失われていくのかもしれない。”
と、問いかける。
一人の人間が、誰の助けも借りず、たくさんのことを自分自身のこととして受け入れ、考え悩みながらここまでできる、というのは驚きである、いや、もしかすると、誰の助けも借りない一人の人間であるからこそ、小さな産院というピンホールを通して、いろいろなことをくっきりと見つめながら行動することができるのかもしれない。
ある人に、この本が面白かったと話したことがきっかけとなり、来月、大阪で講演をしていただくことになった。その日の私は、いったいどのような女性とお会いできることになるのだろう。本を片手にレビューを書きながら、いまからわくわくしてしまっている。
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あの『さいごの色街 飛田』の著者、井上理津子さんが書く、8千人もの赤ちゃんをとりあげた助産婦・前田たまゑさんの話。
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望まれなかった子供が生まれてしまう国がある一方で、少子化に悩む国がある。
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何年ぶりで思い出しただろう、若かりし頃に読んでほんとうに感動したことを。周産期医療の先駆け、三宅 廉の話。