採点:★★★☆☆
「天才」「一流」に興味のある人はおススメ
世の中の飛びぬけた成績を残す人、例えばタイガー・ウッズ、には特別な「才能」があるのか?そのような成績を残すには何をすればよいのか?について考察した本。
究極の鍛錬 (2010/04/30) ジョフ・コルヴァン |
マイケル・ジョーダンのクラッチシュートやタイガー・ウッズのここぞというときのショットを見るとついつい「生まれ持ったものが違う」と考えてしまうが、著者はそれを否定する。飛び抜けた成績を生み出すために必要なのは才能ではなく、「究極の鍛錬」なのだ。著者による「究極の鍛錬」の定義は以下の通り。
・業績向上のために特別に考案されている(しばしば教師の手を借りる)
・何度も繰り返すことができる
・結果に関してフィードバックを受けることが出来る
・精神的にはとてもつらい
・あまり面白くない
音楽やチェスなどの具体的な事例を挙げながらトップの成績を出すものとそうでないものの差は練習時間(特に一人での反復練習時間)であることを示していく。「天才」として名高いモーツァルトも4歳の頃から音楽家の父から徹底した訓練を受けており、現在でも評価の高い作品を生み出したのはやっと21歳になってかららしい(もっと若い時のモノとされる作品もあるが、父のものである可能性が高い)。
最も驚いたのは、チェスの成績は才能でなく「究極鍛錬」によってもたらされることを証明しようとしたハンガリー人科学者が奥さんを公募し、実際に3人の娘を産み・育ててチェスの世界的プレーヤーにしてしまった事例だ。この夫婦は仕事も辞めて、子供たちを学校へ行かせることなく徹底してチェスを教えて、子供たちを女性初のチェス・グランドマスターにしてしまったのだ。まさに、チェス版亀田兄弟。常人にはとても出来ない諸行だ。3人娘の誰一人として世界チャンピオンにはなれなかったこと、姉妹の仲で最も練習嫌いだった娘が最も低い成績に終わったことも興味深い。
本書はその後半で話をビジネスへ展開するのだが、これがイチイチ納得できない。ビジネスの究極の鍛錬の例としてケース・スタディーやビジネススクールを挙げているが、みんな直ぐに反論したくなるだろう。
それは多分、ビジネスの世界では、究極鍛錬の要件の一つである「業績向上のために特別に考案された手法」というものがないからだ。そもそもビジネスの世界の業績って何だ?小さなベンチャーを一人で切り盛りしている人とグローバルカンパニーの部長とではどちらの業績が優れているのかを皆が納得する形で判断することは出来ない。
本書が提示する究極の鍛錬が可能なのは、業績が明確に判断でき、身体的特徴が業績に直結しない分野(両親の身長が150cm程度ではNBA選手にはなれないだろう)に限られる。
自然科学系のノーベル賞受賞者の年齢(受賞理由となる業績達成時)が年々上昇しているという話も知らなかった。これは単純な話しで、偉大な業績を生み出すまでに習得しなければならないことがどんどん多くなっているから、伝統的分野では極端に若いうちに傑出した成果を出すことは困難になっているようだ。ニュートンの有名な台詞”If I have seen a little further, it is by standing on the shoulders of Giants.”というのがあるが、巨人は日々加速度的に大きくなっている。大学の授業で教授が「数学なら20代、物理なら30代、化学なら40代で成果を出せなければその後も傑出した成果は出せない」という話を聞いていたが、どうやらあまり根拠はなかったらしい。恐らく究極の鍛錬を辞める理由が誰にも必要なのだろう。
最も気になる問いである「じゃあどうやったら究極の鍛錬ができるの?」に対しては明確な答えは用意されていない。鍛錬による成功体験や強烈なメンーの存在が助けになることは間違いないが、最後は自分を信じられるかどうかだ。「才能あるやつには敵わない」と考えている人間は究極の鍛錬はできないだろう。やはりここでも「俺なら出来る」という根拠のない自信・アニマルスピリットが重要な役割を果たすのではないか。もっとも、「究極の鍛錬」には様々な犠牲が伴うので、そもそもやりたくない人も多いだろう。だからこそ、成し遂げたときの見返りは大きいのだ。