ゴールデンウィーク(GW)に突入である。海に山に忙しい方も多いだろうが、HONZ読者ならば読書にも忙しいはずである。私もレビュー用にここぞとばかりに、アマゾンで『立身出世と下半身』という本をタイトル買いしたら、あらゆる意味で軽薄短小が売りのはずの私の元にタウンページのような厚みの本が届いたのが一週間ほど前。GWに入り、読み進めると、学生になぜセックスを推奨しないかのといった問題提起から始まり、明治時代の学生が丸裸にされて身体検査されていたりと、興味深くはあるものの、連日の陽気な天候と何とも対照的な内容に、ああ、どこかに行きたい、うまいものでも食いに行きたいと、現実逃避モード全開になったのが昨夜の午後。「本など読んでいられるか」とボヤキながらも積んどくタワーを崩して、ちょい読みのつまみ食いを続けていたら、つい引き込まれて最後まで読んでしまったのが本書である。
タイトルは『ステーキを下町で』だが、北は北海道から南は沖縄まで、食を求めて文字通り東奔西走した13編からなるエッセイ集だ。北海道の豚丼、青森県の鮟鱇、沖縄のそば。そして今や駅自体が一大観光スポットである東京駅構内の飲食店や都内の「餃子の王将」チェーン店巡りまで。一編につき1-2ページ、『孤独のグルメ』で知られる谷口ジロー氏の漫画も掲載されており、「あぐ、あぐ」、「ごく、ごく」といった食いっぷり、飲みっぷりが食欲をそそる。ゴールデンウィーク後半にかけ遠出する人もそうでない人も持っていては損ではない一冊だ。
単なる食を巡る紀行集と言われれば、それまでだが、秀逸なのが著者の軽妙な文体だ。たとえば、「朝は大衆酒場、夜はスナック」という編。タイトルからして場末感たっぷりだが、一行目はこう始まる。
「酒は飲んでも飲まれるな」というけれど、「酒に飲まれなくてどうする」とも思う。
日本全国の泥酔者のうなずきが聞こえてきそうな書き出しである。そして、文学者で評論家の吉田健一の次の言葉を引用する。
ただ飲んでいても、酒はいい。余り自然な状態に戻るので、かえって勝手なことを考え始めるのは、酒のせいではない。理想は、酒ばかり飲んでいる身分になることで、次には、酒を飲まなくても飲んでいるのと同じ状態に達することである。球磨焼酎を飲んでいる時の気持を目指して生きて行きたい
個人的にはわかるようで、わからないような主張であるが、日本全国の泥酔者のむせび泣きが聞こえてきそうな珠玉の台詞である。著者は、球磨焼酎を飲んでいる時の気持には素面ではなかなかなれないが、この世には「飲んでいるだけで羽化登仙にいざなわれる場所が本当にあるのだから」と続ける。どこだよ。
この世の天国、それは東京のノースサイド、北区赤羽にある。名前を「まるます家」という。八年まえ、はじめて足を踏み入れた瞬間はいまだに忘れられないー(中略)ー(ここは極楽浄土か)
この世の天国が赤羽にあるというのだ。赤羽である。赤羽。初耳である。「まるます家」の開店は午前九時。昭和二十五年創業、初代店主が「俺が朝から酒を飲みてえ」と始めた店だという。この時点で、確かに、一部の人には極楽浄土である。朝っぱらからおじさんたちが鯉やうなぎをさかなに焼酎を飲む。たまらん。下戸の人には地獄でしかないだろうが。いや下戸でなくても引く人は多いだろうが、毛嫌いせずに本書を手にとって欲しい。生唾ごっくんで食べたく、飲みたくなるおススメ上手な描写が繰り広げられている。私の筆力だと引用の連続になってしまいそうなのでここでは多くを書かないが、おススメられ好きのHONZ読者ならば間違いなく、足を運びたくなるようなおススメぶりである。
赤羽編の場末感は本書の中では例外的な位置づけであるが、全編に共通する点もある。著者や同行する編集者の思い出がそれぞれの食に関わっているということだ。編集者が学生時代の恋人とすすったうどんを味わいに京都に足をのばし、著者が幼い頃には特別な食べ物だったビフテキの味を思い出し、肉を食す。料理の味や匂いの記憶は土地の記憶でもあるのだ。本書には訪れてみたいと思う店も満載だが、自分の記憶を辿り、昔訪れた店や土地にふらりと行きたくさせる一冊でもある。
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軽薄短小な私には厚すぎます。次回、書く はず。。。