短い書評なら気合を入れなくても、気軽に書けそうだ。
東京のことについてあまり詳しくないので、ちょっと勉強してみようと思って買ってみたのが本書。渋谷センター街は40年前まで川底だったという事実にはビックリした。それも江戸時代はホタル鑑賞の名所だったそうだ。全然知らなかった。そう言われてみれば渋谷駅からどの方面へ歩いても坂を登らなくてはならない。渋谷駅周辺は確かには谷底だ。じゃあ渋谷川の上流はどこなのかと思いながら読みすすめていくと、明治神宮内の水源に辿りつく。行列が出来るパワースポット、清正井だ。本書を読むことで東京の名所が川を通じて繋がっていく。
私が毎日働いている大手町・丸の内界隈も川が通っていたようである。確かに周りには橋のつく名前が多い。一ツ橋、神田橋、数寄屋橋と続く。今、自分が働いているオフィスは明治時代の大蔵省跡地であることを初めて知った。大蔵省の周りを川が流れていたようだ。川から読みとく東京・江戸はなかなか面白い。
一時期海外で生活したからか、日本の文化や芸術に興味がある。大学時代も「平成の岡倉天心になる」と公言して、友達や親から呆れられていた。ある人に「日本文化・芸術が好きなら艶本を知っておけ」と言われたことを思い出して、本書を買ってみた。
まず驚いたのが、艶本に登場する女性の頭髪の精妙な彫り具合だ。生え際がふっくらしているようにみえる。現代の印刷技術では不可能だ。艶本を江戸時代のただのワイセツ図画と勘違いしてはいけない、恐ろしく芸術的なのだ。江戸時代、公刊の印刷物に贅沢な彩色を使うことは禁じられていたので、当時の木板技術者たちは艶本などの私的刊行物に伝統芸術の粋を遺しておくしたなかったようだ。現代でも皇室に御成婚があると艶本が献上されるほどである。小学生でも知っている浮世絵画家である歌麿、北斎、広重も艶本を描いている。
著者は艶本がワイセツな作品として卑下されていることにお怒りであり、正しく評価されていないと本書の中で力説する。日本の出版文化は武士階級の弾圧から隠れて江戸の文化人たちが発達させたものなのだから、うわべの平凡な出版物(浮世絵)だけ見ていても日本芸術を理解できない、と主張するのはもっともだ。