警察関係者を身内に持つ方には申し訳ないが、私は警察が怖い。町で警察官を見ると思わずうつむいてしまう。何も悪いことをしたわけでもないのだが、何かされるのではと感じてしまう。私はおかしいのだろうか。本書を読めばわかる。私はおかしくない。古今東西、警察はきらわれ、おそれられる存在であったのだ。
本書は古代ギリシャから中世ヨーロッパ、そして近代を通じて警察がどういう存在であったかを資料を巧みに使い、浮き彫りにしている。ヨーロッパが中心だが、江戸時代以降の日本での警察組織についても若干だが言及している。地域によって、多少の違いはあるが、著者は警察とは、時の為政者が反乱を防ぐために利用する存在だったと指摘する。そこには、現代の我々が抱きがちな「体を張って住民の安全を守る」正義の味方の警察像はない。
特に近代以前は警察への予算分配がほとんどないからか、警察の腐敗もひどい。目的が目的なので、秩序を守るためには、ごろつきも雇う。権力を持ったごろつきほどたちがわるいものはない。ウイーンでは薄給をカバーするため、売春宿や違法である酒場の営業など副業する警察も少なくなかったという。取り締まる側の人間が平気で違法行為をするのだから、反感も買うわけだ。
日本でも江戸時代の「警察」は欧州に負けず劣らず嫌われている。当時、江戸の治安を守っていたのは奉行、与力、同心という侍だが江戸全域をとてもカバーできる人員ではなかった。そこで、彼らは実働部隊として目明し、岡っ引きなどと呼ばれる連中をポケットマネーで雇った。当然、目明したちはそれだけでは食えない。彼らがどう稼ぐのかというと、犯罪の握りつぶしだ。当時は、被害が少なくても事件化されてしまえば、被害者は手間も金もかかった。目明しは、事件を表面化せず、闇に葬り去るかわりに、いくばくかの金をせしめていたというのだ。そのため、江戸では蛇蝎のごとく目明かしたちは嫌われていたという。まあ、今でも小説やドラマではやくざ顔負けの警察官やら、袖の下を要求する警察官が出てくる。フィクションとは言え、そのような登場人物が描かれる下地は江戸から脈々と流れているのである。
「古代中世の警察はとんでもない奴らの集まりだったのだ」と知ることができるだけでも本書は読む価値はあるが、ごちゃごちゃしがちの中世ヨーロッパ史を整理し直す意味でもおすすめだ。都市や国家の誕生はいわば警察権の歴史と密接な関係にある。警察権の動きを見ていけば、なぜ、都市の自治権は奪われ、絶対王政が生まれ、そして崩壊したのかなどが、少なくともわかった気になれる。
著者はオーストリア文学が専門。これまでもハプスブルク家などに関する著作がある。