「概説を書くことが、学者の最大の義務である」という、著者があとがきで掲げた日本建築史の泰斗・太田博太郎先生の言葉がかなえられた、すばらしい一冊だ。日本彫刻史の研究に携わることおよそ40年という著者の山本氏。長年にわたる仏像研究の成果がまとめられている。説明も平易な記述で読みやすく、長年培われた仏教芸術や日本美術史への深い考察も随所にうかがえる。
ぜひ一度、本書を手にとって見てほしい。大型本のページいっぱいに大きく写し撮られた仏像はみな美しい。やはりこれだけ質感のある表現は、紙の本だからこそなせる業だ。一級の芸術品としての仏像の魅力を贅沢に味わいたい。
本書に登場する仏像は、様々な表情を見せる。
法隆寺の釈迦三尊像は飛鳥時代を代表する仏像の一つ。「尺寸王身」― 聖徳太子と同じ背丈に作られたという本尊には、病気を患っていた太子の快復してほしいという願いが込められている。安らかな微笑みが特徴的だ。
ここに漂う神秘的な雰囲気はどこから来るのか? その秘密は仏像の構図に隠されている。波打つ曲線を描いた衣髪や光背の幾何学模様が尊体の発する気を表現し、エネルギーを宿した神秘の姿がそこに現れる。本尊・脇侍像はともに二等辺三角形を基調とし、幾重にも同型の構図が重なることで、見る者に抽象的な哲学世界の広がりを感じさせる。
奈良時代になると仏像のスタイルにも変化が見られる。個性的なポーズを決める新薬師寺の十二神将は全身で喜怒哀楽を表現し、開放感と躍動感に溢れている。怒りを露わにした表情からは、ご本尊の薬師如来を必死に守ろうという決意がうかがえる。
仏像の造形は、釘で止められた心木に塑土を盛り付けることで形作られていく。心木は釘で止められているため、微調整により製作の過程でより動きのあるポーズを取らせることができるようになった。この時代、仏像がより写実的になり動きが現れた背景には、「身近にいて自分たちを救ってほしい」という当時の人々の仏に対する期待のしるしでもあった。
鎌倉仏像の特徴の一つは「玉眼」にあり、長岳寺の阿弥陀如来像も輝く目をもつ。水晶を用いることで瞳の潤いを表現し、より人間に近い肉体表現の仏像が誕生する。「玉眼」の水晶にはその裏に瞳を描き色の付いた和紙を貼り込むことで、仏像一体ごとに異なるまなざしを表現している。
運慶作・興福寺の金剛力士像の玉眼は、緋色と金箔で怒りを露わにする。円成寺の大日如来像のみずみずしい表情も、玉眼の瞳の潤いのなせる業だ。世の実権が貴族から武士に移ったこの時代、仏様が多くの庶民へと開かれていく。仏像の表情のゆたかさは、人間にとって仏様がより身近な存在になったことの表れでもある。
日本人にとって、仏像は最初から信仰の対象であると同時に美的観照の対象であった。また、それまで偶像崇拝の伝統をもっていなかった日本では、信仰対象が人の姿をしているということじたいが新鮮な衝撃を与えたのだろう。
(「仏像の渡来と飛鳥時代の幕開け」より)
本書の縦糸をなすのが仏像芸術における「和様」の成り立ちと変遷である。仏像芸術の様式は、飛鳥・奈良・平安・鎌倉と時代とともに移り変わっていく。
わが国の仏像の歴史は六世紀の半ば前後、欽明天皇の時代に仏教が朝鮮半島から日本に伝えられたことに端を発する。平安時代最初期、唐から帰った空海は真言宗の発展に努める。このときに作られた真言密教の仏像群に見られる様式が、やがては密教の枠を超え同時代の貴顕にかかわる中央の仏像へと共有されるようになる。「承和様式」の展開である。
承和様式の特徴である張り詰めたような趣は、やはり渡来の文化・芸術様式の影響を色濃く反映したものと見られるが、やがて仏教美術における和漢融合が起こる。その最初の指標としてあげられるのが、仁和4年(888)に造立された京都・仁和寺阿弥陀三尊像である。承和様式を継承する作風でありながら、やさしい表情にも柔軟な体躯にも張り詰めたような趣は消え、ここでは典雅なおだやかさが支配的である。
仏像芸術における和様は、平安時代後期の大仏師・定朝において完成を見る。技法的には日本独自の寄木造りを完成し、以後、大像造形の基本的な構造技術となる。表現の上でも、彼の手による平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像に和様の完成が見える。頬がまるく張った円満な顔。伏目がちの眼は拝むものを静かに見つめ、その表情は限りなくやさしい。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢はいかにも自然で、どこにも硬い緊張感がない。奈良時代以来の胸が厚く前に張った姿勢・体形は、古典彫刻の源流である中国唐時代の彫刻の様式の支配下にあったことを示すものだが、それを脱してこうした姿勢・体形が生まれたことは日本の仏像の大転換であった。
鎌倉時代に入り、定朝の嫡流を汲む成朝が鎌倉に下向したのは、新権力と奈良仏師との関係を象徴する出来事でもあった。その後、成朝に代わるように運慶が鎌倉武士のために造像に活躍し、新様式を樹立する。京都の王朝文化圏には平安後期以来継承されてきた仏像の和様が厳然と存在し、定朝様へのアンチテーゼを示した奈良仏師から出た慶派が彫刻の新様式を造り上げる。やがて、鎌倉時代後期に日本仏像は栄光の時代を迎えることになる。
日本の仏像をじっと眺めると、心の安らぎとともに懐かしさを覚える。その由縁はきっとこの「和様」にある。いかなる文化・芸術・技術であっても、ひとたび海外から導入すれば、やがては日本流に転換してしまう独自の感受性が、文化的・歴史的DNAとして日本人には脈々と受け継がれている。
太古の我々のルーツに思いをはせたいとき、仏様の美しいお姿を眺めてホッコリしたいときなどのお供に、手元において、時折見返す価値がある一冊だ。
——————————
現在、NHKのEテレでも仏像鑑賞の入門番組が放映中です。