人間の知性とはいったい何なのか? 最先端のコンピュータでは知性をどこまで再現できるのか? 興味のある方は本書を、その前にこの書評を読まれたし!
人間の知的活動はアルゴリズム(問題解決の手順)ですべて表現できるという仮説から生まれたのが人工知能(Artificial Intelligence=AI)だ。日本における人工知能研究では将棋が題材とされ、人間の知能が持つ機能の中でも最も分かりづらい「直感」「ひらめき」のメカニズムを解き明かそうと研究が行われている。そして、松原仁(公立はこだて未来大学教授)らの挑戦に対し、日本将棋連盟が相手として選んだのが女流王将・清水市代だった。
「人間」 vs. 「人工知能」 。分かりやすい構図ではあるが、それぞれ「強さ」の構成要因は異なる。プロ棋士の強さは「体力」と「読み」、そのバランスから成るとされる。一流のプロ棋士は「直感」「ひらめき」を用いて一局面で指しうる平均八十手を瞬時に三手まで絞り込み、その中にほぼ最善手が含まれているという。
他方、コンピュータの強さは「評価関数」と「探索」の精度、およびそのバランスにかかってくる。「評価関数」により、例えば王将の価値は∞、飛車は950などゲームの要素を数値化し局面の有利・不利を判断した上で、「探索」により局面を深く読み、合法手から最善手を選びしていく。
さらに清水と対戦する「あから2010」は、4つの将棋ソフトを東京大学の169台のコンピュータでつなぎ、合議制システムを実現している。一手ごとに多数決を取ることで「ゆらぎ」を表現し、相手にこちらの手の内・クセを悟らせないという作戦である。169台の最新コンピュータをクラスタリングし、4つの最強ソフトで束になって挑まねば勝ち目なしとは、まさに人間の脳こそが超ハイスペック・コンピュータである。
対局は序盤から創造力・構想力を問われる「力戦」の様相を呈する。穴熊囲いを目論む清水に、人間には生理的に指せない妙手で応戦する「あから」。
勝負の分かれ目は53分に及ぶ清水の長考であった。長年の経験ゆえに重要な局面で思考の楽しさに没入。後に持ち時間切れで一分将棋を余儀なくされ、最善手を見誤ってしまう。終盤戦、清水はコンピュータゆえにミスをしないという「信頼」を相手に寄せ、負けを悟り最善手を指し続けることで美しい棋譜が紡がれていく。
もはや人工知能がプロ棋士をも凌駕する時代の到来かと思いきや、コンピュータは真の「知」を獲得するには至っていない。そもそもコンピュータは人間が設定した通りに動くもの。人間の設定したフレームを超えられず(=フレーム問題)、人間のように経験を汎用化する能力もない。
人間とコンピュータ、両者の大きな違いは「身体性」にあるようだ。人間は、その生身の体ゆえに新しい状況でも生き延びねばという欲求に駆られ、これが知性の源泉となる。最近の研究では「ヒューリスティック・アプローチ」(=経験によって蓄積された知恵をもとに「だいたい合っている」解決策をいかに見つけるか)や「ヒューマノイド」(=歩行実験などでまず動くものを作ってしまい、動かしてから調べる)など、従来の科学とは逆の”人間くさい”アプローチが試みられている点が興味深い。
敗れた清水棋士ではあるが、対局が一般メディアでも取り上げられ、将棋の普及に貢献できたという実感も得られたようだ。次の戦いの中に身を置きながら、成功体験から切り捨ててきた選択肢を拾い上げられないか、コンピュータとの対局を自分の枠を広げるための経験として前向きにとらえている。彼女のしなやかな発想と凛とした美しさ。爽やかな読後感が心地良い。