『閃け!棋士に挑むコンピューター』 田中徹&難波美帆 梧桐書院
棋士の田丸昇八段のブログによれば、1996年の『将棋年鑑』のアンケートで後に永世名人になる森内俊之は「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」という質問に「2010年」と答えたという。森内の予言通り、2010年、コンピューター将棋システム「あから2010」が公式の場で初めて女流棋士を破った。それも、長らく女流棋士界に君臨し、女流王将のタイトルを持つ清水市代をだ。
本書の中心になるのは、10年10月の清水と「あから2010」の対決だ。コンピューター将棋がどのように進歩を遂げてきたかを軸に、対戦前や対戦中、対戦後の清水の心境を織り交ぜることで、人間とコンピューターの打つ手の違いを際だたせている。軍配は「あから」にあがるが、同時に、この戦いが、人間の複雑さや人間を人間たらしめる本質をうきぼりにしている。
コンピューター将棋の歴史は長いが、当初は、自陣で金と銀の駒ばかりを動かしたり、中盤以降、差し手が滅茶苦茶になるなど、プロどころかアマの有段者の相手にもならなかったという。CPUなどハードの進化と、プログラミングの試行錯誤があり、10年前にアマ3段程度まで進化したと言う。世の中を驚かせたのが2007年。竜王の渡辺明が将棋ソフト「ボナンザ」と対決。それなりの対局料が支払われたらしいが、対局料や賞金が高いとめっぽう強いと言われる渡辺明を相手に、途中まで互角の勝負を演じた。
コンピューターは人間の「読み」にあたる探索する力は秀でていたが、形成判断する評価の力が弱かった。ボナンザは「機械学習」という人工知能の手法を評価に採用。人間が経験的に行っているパターン認識をコンピューターに覚えさせる技術を確立したことが棋力の底上げにつながったという。
「あから2010」の実力は当時のボナンザのはるか上を行った。169台の大規模並列コンピューターの上で、「ボナンザ」、「激指」、「GPS将棋」、「YSS」という最強を争う4ソフトが稼働する仕組みだ。 特徴は合議制を採用した点。4種のソフトが多数決合議制で指し手を決める。悪手を減らす効果があり、各ソフトの長所も生かせるという。
対局の中で明らかになるが、コンピューターの凄い点は人間なら、最初から対象外とする手でも全て選択肢として検討する点だ。そのため斬新な一手につながることもある。また、こちらの意図が通じない。長考した一手でも、ただの一手でしかない。清水が3時間の持ち時間の内、1時間近くをかけて打った手もただの一手でしかないのだ。人間ならその手の真意をはかったりするだろうが。
こちらが果敢に攻めに転じても、コンピューターの寄せの方が早いと判断すれば、守りには入らない。これは人間相手では考えにくい。将棋が勝負である以上、実力が接近していれば、明らかに感情を持つ人間は不利だろう。
「あから」は清水を圧倒したわけだが、同時に今回の勝負は、人間的思考をしないから勝負に勝てたとも、読み取れる。人間に勝つことを目指したコンピューターだが、皮肉にも、この勝利は人間とコンピューターの距離を改めて示唆したとも言えよう。開発陣もこのような点が課題と指摘する。
今後、コンピューター将棋と人間との距離はじりじりと縮まるだろう。IBMが開発したコンピューター「ディープブルー」がチェスで世界王者を倒したように、コンピューター将棋が羽生善治を倒す日も近づいているのかもしれない。ただ、本書を読む限り、将棋がアマ初段程度でチェスもそこそこ打てる「人間らしい」コンピューターを開発するのは当面は無理なことがわかる。歩くのに長けたロボットや起きあがるのに優れたロボットは作れても、歩けて、自力で起きあがるロボットの開発が難航しているように。我々人間が当たり前のように瞬間的に行っていることも一から教え込まないとコンピューターはできない。本書は将棋対決を通じて、われわれ、人間の複雑さをイヤと言うほど教えてくれる。
本書には、コンピューター関連本にありがちな敷居の高さは一切ない。2人の筆者がコンピューターの専門家でないこともあり、文章もかみ砕いて書かれている。「あから」やコンピューター将棋を理解しようと言う強い気持ちが文章や行間から感じられる点に心を打たれた。私自身、高校時代から文系まっしぐらで、恥ずかしながら、インテルと聞いてもプロセッサーではなく、「ああ、ミラノダービーは燃えるよね」とセリエAのインターミランを思い浮かべるくらいの人間なのだが、本書を読み、人工知能を勉強しようかしらという気持ちが芽生えつつある。