「センスがいいね」と言われたら、私はとても嬉しい気分になる。「センスがいい」というのは、生き方そのものを肯定されているような気がするし、最高の褒め言葉だと思うのだ。でも「センスがいい」ってどういうこと?と聞かれても、その定義を明確に答えることができない。
なんとなくイメージはできても、センスというものはうまく言語化ができないものだ。私は大のファッション好きなので、ファッションの観点からいうと、センスのいい人というのは、ジーンズに白いシャツというようなシンプルなスタイルを、さらっと着こなしている人を思い浮かべる。華美なデザインの服で着飾ったり、奇抜な格好をしたりするのは、オシャレではあっても、センスがいいとはいえない。
著者は「昨日、センスのいい人に会った。」といったときに、その人が実際に何を着ていたのか、思い出せない人こそセンスがいい人だ。といっている。確かにそうかもしれない。何を着ていたか思い出せないけど、とてもセンスのいい人だった。そう思われるくらい、その場に自然となじんでいて、不自然さやストレスがない状態。そういう人こそが、センスのいい人である。この表現には脱帽した。こんな素敵な言葉ですっと腹落ちする表現ができる著者は只者ではない。
ファッションにおいては、TPOが大事だとよくいわれる。場になじまない、独りよがりなおしゃれは、決してセンスがいいとはいえない。ここをはき違えている人が、残念ながら世の中にはとても多いのだ。目立っている人よりも、その場に溶けこんでいる人のほうが、実はおしゃれでセンスのいい人なのである。
ではセンスを磨くにはどうしたらいいのだろう?今まで冴えなかった人が、すぐにセンスのいい人に変身するのは、難しいと著者はいう。センスというものは、それまで身につけてきた自分の価値観や、美意識を礎にしてにじみ出てくるものだからだ。
ただセンスがいいということは、清潔に保たれていることだったり、きちんとしていることだったりするので、まずはおしゃれな人を目指すのではなく、好印象を持ってもらうために清潔な人になろうとすることが大事らしい。
また人からから勧められたものを実際に試すというのも、センスを磨く上では大事だという。自分の趣味とはあわなくても実際に体験してみることで、自分の感性の幅が広がる。たとえそれが失敗であっても、ひとつ話のネタが増えればそれで儲けものである。
それに自分の好みでない物の中に、いいものがねむっているというのはよくある話だ。食わず嫌いはもったいない。興味がないものに対しても、「なんだろう」と思う気持ちは大切なのである。
世間で流行しているものには、流行している理由がある。それを実際に体験することで意外な発見があるかもしない。著者はメイド喫茶やAKBの劇場などにも実際に足を運んでみたそうだ。人からみればあなたらしくない。そう思われる場所があったらあえて行く。そういうことの積み重ねでセンスは磨かれていくのだろう。
また失敗の経験というのも大事である。当たりばっかりが続くとそれが普通になってしまう。失敗や恥の経験がなければ何も学ぶことはできないからだ。そして経験にはお金を惜しまないというのも重要だ。お金をかければ、それだけ物事に真剣に対峙する。お金をかけて失敗したときはショックが大きいけれど、その経験が必ずあなたのセンスを磨いてくれるだろう。
センスのいいものに触れるというのもいいだろう。著者は重要文化財を見ることや、根津美術館などのプライベートミュージアムを見ることをオススメしている。普段から素敵なものや、美しいものを見つけて、よく触れて、真似てみる。これがセンスのよくなる唯一の道である。
著者にとってセンスとは「選ぶ」、「判断する」ことだという。自分の生活に投資をして、その見返りとして、自分が豊かになったり、そこから何かを学んだりする。自分にとってリターンのあるものを選択する。そういったことが自然にできるようになれば、あなたもきっとセンスがいいねといわれる人になるだろう。