「ねえお父さん、なぜぼくはいるの?」
著者の息子オスカーの質問だ。子供は本物の哲学者だとよくいわれる。こんなことを実際に聞かれたら思考が一瞬、停止してしまうかもしれない。
本書は魅力的な哲学の本だ。哲学といっても、まったく固くならずに読める内容である。著者はドイツ人作家で哲学者のリヒャルト・ダーフィト・プレヒト。原書はドイツ語版『Warum gibt es alles und nicht nichts? Ein Ausflug in die Philosophie. 』2011年に発売され、10歳以上の子供から、人生の大きな問題を子供達にどう話していけばいいかを考えている大人までが楽しめる内容で大ベストセラーとなった。そもそも、著者のプレヒトは夫人との間に三人の継子があり、その子供達に説明してやれる本を書きたいと考えていたところ、そういう内容なら大人も興味を持つかもしれないと、出版社が気づいて進言してくれたのがきっかけだったそうだ。ページを開いてみると、確かにひらがなも多く、行間も適度にゆとりがあり、内容も身近な動物を例にあげたりと哲学書に思えない。
著者と息子オスカーは首都ベルリンの動物園や博物館を訪れ、その会話の中で哲学的なテーマについて思索を重ねていく。2人のやりとりの言葉は簡素だが、息子のオスカーは「動物の名前ってどこからくるの?」とか、その場所の雰囲気に触発されながら会話をかわすうちに、「なぜ人は悩むの?」や「なぜわたしがいるの?」とより哲学的なテーマをぶつけてくる。
オスカーに対する著者の口調は、まるで父親の口から寝る前に枕元でお話でも聞かせるようにおだやかだが、もちろんその対話には、哲学者プレヒトとして上手く導いている部分が多い。ベルリンの博物館や動物園の中で、親子がああでもない、こうでもないと首をひねり、時には真剣に、時にはユーモラスに相手をやりこめたりもしながら対話が進んでいく。
「動物には本当の名前はあるの?全ていろんな国の人間がつけたものでしょう?」
次々と疑問が浮かんでくるオスカーに対して、「いいかい、オオコウモリはね~」と著者はやさしい言葉でどんな質問にも切り返していく。一見、ああでもない、こうでもないとやりとりしているようでいて、実はどれも現代の化学や哲学が到達している認識に裏打ちされた内容を含んでいる。そのギャップがとても面白い。著者が個人の観念ではなく、なぜその論理に導く結論によったかは巻末にある出典付きの哲学書から読み取れる。そのうち、2人の対話が結晶となり、各章のテーマは最終的な洞察にたどりつく。
全体は三部に分けられ(私ってだれ?/何が正しいの?/幸せってなに?)、それらを「頭に穴があいたら悪い人に変わっちゃうの?」など20の質問(20章)で構成されているが、この構成の分け方はカントが人間に関する大きな問い(知覚、論理・道徳、幸せと私・人生の意味)を区別したやり方と同じらしい。
ゆく先々では、必ずその土地の歴史など背景的事情を息子に説明してから本題に入るので、ちゃっかりベルリンという都市と歴史についても色々と知れる。また我々日本人にとっては舞台も少し未知であり、ちょうどそのくらいのほうが哲学に浸りやすいのではないか。
時間がないからといって、各項目の最後まとめ哲学だけを読もうとすると、肝心な過程が楽しめないので腑に落ちないだろう。「もしも人間の肉が大好物の宇宙人に征服されたら?」という章では、著者がテーマを人が動物を食べることについて誘導しているが、オスカーは「人間ならタコは食べなくて、ウシは食べていい」と断言している。理由はタコは綺麗で、ウシは知能があるわけでも、綺麗でもないからだそうだ。子供はいつも斜めの角度から反応が返ってくる。さしずめHONZの息子なら、気合を入れ息子と哲学的に語ろうとしたら、弁証法的唯物論でバッサリ論破してきた、なんて可能性もあるはずだ。
話は戻るが、冒頭でオスカーが質問した答えは以下の洞察となる。
人間は多くの偶然によって誕生した。そしてこのことの裏には何か意味があるのだろうと思えるような根拠を、わたし達はほとんどもちあわせていない。
私はこの答えに胸が軽くなった。なんだ、結局は意味を見出したがるのが人なのか、と。
もちろん本書を読んで悟りを期待していたわけでもない。ただ自分の頭が固くならないよう、たまに全く別ジャンルに挑戦する時間はとても楽しいはずだ。今はいろいろなベクトルから情報を取り入れることができ、これが刺激にもなり面白いのだが、たまに情報自体を深く問い直す哲学的な思考能力を鍛える必要があるのではないかと考える時がある。そんな時、ちょうど本書のように子供と一緒に悩み考えながら対話を重ねられ、相手も自分も幸せに導こうとする哲学はうってつけだ。本当の幸せってなんだろうと改めて考えていけるメッセージかもしれない。
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