すべからく、天才は類まれなる努力の結果、生まれるものだと思っている。天才が天才であるのは、あることが好きで好きでたまらず、その好きなことだったらどれだけ練習しても、勉強しても飽き足らずに、身体の一部になるまで反復しなければ気が済まない、そういう精神力を持っていることだろう。天才の伝記は、凡人にとっては神話のようだ。どれだけ奇矯な人間であっても、どこか神々しい。私が初めて知ったボビー・フィッシャーという天才チェスプレイヤーも、やはり怒れる神のような印象を持った。
私はチェスを知らない。さすがにこのゲームがどのようなものを使うかくらいは知っているが、ルールもシステムもまったくわからない。しかし将棋を知らなくても『真剣師小池重明』や『聖の青春』が面白かったように、マージャンの牌を握ったことがなくても『麻雀放浪記』を読みふけったように、五目並べしかできなくても『未完の対局』に心を奪われたように、この『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』読んでいる間、闘う男の物語に時間を忘れた。
ノーベル賞科学者の秘書をし、ロシアで医学を学んだ母とユダヤ人物理学者の間に、1943年3月9日、シカゴに生まれたロバート・ジェームズ・フィッシャーだが、父親がアメリカの地を踏んだことはない。出生証明書の父親が実の父だったかも不明である。確かなのは、母親のレジーナは当時極貧のシングルマザーとして、ボビーの姉と彼を育てるために必死で働いていた、ということだけだ。かなりエキセントリックだった母親の血を、ボビーは間違いなくひいていた。
ボビーは今でいう「多動性障害」を持っていたのかもしれない。自分の思い通りにならないゲームに癇癪を起こし落ち着きのない少年が唯一魅せられたのが6歳のときに買ってもらった1ドルのプラスチック製チェスセットだった。姉のジョーンが簡単にルールを説明すると、対戦相手のいないボビーは自分自身を対戦相手にした。白の自分と黒の自分とを戦わせて、盤面の感覚や駒の動きを学んでいった。
ボビーは幼いころから自分のリズム合わないことはすべて拒否した。思い通りにならないことは喚きちらし、興味のないことは一切しなかった。彼が没頭したこと、それはチェスの本を読むことだった。7歳で初めてチェスマスターと対戦し負けたとき、悔しくて泣いた。多分それが、チェスへの一歩目だ。幸いなことにその対局を見て、ボビーの才能に気づいた大人がいた。カーマイン・ニグロ。ブルックリン・チェスクラブの会長だったニグロが、ボビーの最初の師となった。
7歳にしてこのクラブの会員となったボビーは、風呂の中にまでチェス盤を持ち込み、チェスの本を読み漁って勉強した。彼は記憶の天才だった。棋譜を読み覚え、自分で再現し身に付けていく。IQ180だがチェスにしか興味を示さない。上達は目覚ましく、ブルックリン・チェスクラブで負けるも少なくなった。
当時、アメリカとソ連は冷戦中だったが、チェスの交流は頻繁に行われていた。ソ連ではチェスの選手を手厚く保護し奨励していたため、アメリカの選手は歯が立たなかった。ソ連チームの選手は全員グランドマスターであり、国では大スターであったのだ。11歳のボビーは初めて米ソの戦いを目の当たりにする。アメリカの屈辱的な敗北に、フィッシャーの目的意識は高まった。
12歳で公式戦にデビューしたあと徐々に頭角を現し始め、ニューヨーク・タイムスの記事になるほど注目され始める。そして後のチェスファンか「世紀の一局」と呼ばれるクイーンを取らせる奇手で大学教授のドナルド・バーンを破る。天才の誕生である。
アメリカのチェス選手の地位は高くなく、勝っても収入は少ない。お金のためにやるなら、大勢を相手に同時に指す早指しで稼ぐしかない。天才と誉めそやされても、彼は経済的に苦しかった。遠征に出すために母は無理をし、チェス団体やクラブに援助を頼んだ。フィッシャーはますます強くなったが、十代の少年としてはチェス以外では普通だったらしい。ただ、新聞記者は異常性を求める。後年、大のマスコミ嫌いになり金銭欲に取りつかれたようになるのは、この時代の彼への扱いがあまりひどかったからかもしれない。
14歳でボビー・フィッシャーはアメリカチャンピオンになる。
あとは世界を目指すのみだ。ここからのフィシャーは正に武者修行である。共産圏の国が強かったチェス界に、ひとり挑んでいくアメリカの青年の気負いを想像すると泣けてくる。憧れのソ連のマスターとの戦いで彼らが共闘して不正を犯したと言い張るのもわからないではない。フィッシャーは確かに天才であったが、同じような天才がチェスの世界にはいるのだ。生涯のライバルとの試合に彼は全精力を注ぎこみ、1972年、アイスランドで行われた世界選手権で勝利し、世界チャンピオンとなる。
実はここまでの話は、日本でも特集番組が組まれるほど広く知られている。事実と違うのは母との関係くらいだろう。
この時を境に、フィッシャーは20年間沈黙した。チェスの表舞台から身を引き、宗教活動に入る。人目を避け隠棲し、次第に人種差別論者となり、たまに登場すると問題発言を繰り返した。1992年、ふたたびチェスで人前に出るまでのことは、本書で明らかにされるまで知られていなかったようだ。没落と失意、心変わりや恋愛、ここからが本書の真骨頂である。
日本人の妻を娶りながら、その日本で拘束され、2008年にアイスランドで亡くなるまで、本書の筆者で幼いころからのボビーの友人、フランク・ブレンディーは彼の味方であり続ける。本書が魅力的なのは、問題児で多くの人々から嫌われたこの天才チェスプレイヤーを擁護し愛して続けて書かれたものだからだ。解説の羽生善治は、フィッシャーを「チェス界のモーツアルト」と呼ぶ。チェスプレイヤーとしても日本国内レイティング1位の羽生は、本書の読みどころを丁寧に説いているが、一度は対戦してみたかったのでないか、そう勘繰りたくなるほど、世界を相手にしたボビー・フィッシャーのチェスは魅力的だったに違いにない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
HONZの前身「本のキュレーター勉強会」では毎回課題図書があり、メンバーがそれぞれレビューを書くという宿題があった。
山本尚毅、鈴木葉月、栗下直也、土屋敦、久保洋介、高村和久、新井文月 それぞれ読み比べると、どれだけ彼らの文章が上手くなったかがよくわかる。