ロッカールームには、本当にあらゆるものがある。
夢。希望。挫折。苦悩。汗。涙。友情。信頼。時に怒号。そして感謝。
青春を彩るものたちは、いつだってそこに。
本書は、全国高校サッカー選手権で惜しくも敗れ去っていったチームの監督が、試合終了後のロッカールームで選手たちに語りかけたメッセージを集めたものだ。1971年(第41回大会)から中継を行っている日本テレビの企画がきっかけで、通常は関係者以外が立ち入ることを許されないロッカールームにカメラが入り、監督と選手たちとの心の交流が映像に収められた。それらは番組となって放送されると共に、DVDとしても発売されているが、本書は「監督の言葉」にフォーカスして、過去の取材映像の中から珠玉のメッセージを集めて編修されている。
サッカーに限らず、高校スポーツというのは特別な世界だ。青春の真っ只中にある高校生が、3年間という大切な時間のほぼ全てを捧げて生きる世界。その中でも、全国大会まで勝ち上がってくるチームの選手たちともなれば、本当に全てをサッカーに賭けて生きている。そんな彼らが、ようやく辿り着いた全国大会の舞台。この場所で、俺たちの最高の輝きを。最高のシュート、最高のパス、そして最高のランを。最高のチームワークをみせて、そして最後はチーム全員が一丸となった最高の勝利を。誰もがきっと、同じ思いを抱いているだろう。でも、勝負の世界は残酷だ。大会を通じて、最後まで負けることなく戦い抜くことを許されるのは、日本中でわずか1校しかない。その他の全てのチームは、「敗北」という形でそのシーズンを終えることになるのだから。
ただ、それゆえに高校サッカーは見る者の心を揺さぶるのかもしれない。暁星高校の林義規監督も、インタビューで以下のように語っている。
「高校サッカーは、プロを育てるJリーグアカデミーや、海外のクラブチームを中心としたサッカーとは全くの別モノ。卒業後にプロになるのはほんの一握りで、ほとんどの選手は3年でサッカー人生を終えることになる。だからこそ、そこにはサッカーの専門集団にはない「熱い思い」が生まれるんだよ。(中略)『選手権大会は、負けた選手と負けた監督で成り立っている』という名言があるけど、まさにその通りだと思う。優勝校以外のチームはすべて負けちまうんだ。でも、彼らの思いは、勝ったチームに引き継がれていく。『俺たちの分までがんばってくれ』ってね。」
試合終了のホイッスルが鳴り響く。勝者と敗者が確定する瞬間。そこから先、スコアボードはもう動かない。勝利に歓喜するチームの隣には、敗者の姿が常にある。青春の全てを賭けてきた純粋な本気の戦いに、終焉を突きつけられた高校生フットボーラーたちの姿が。もうそれ以上、夢を追うことを許されないという冷徹な現実。泣き叫ぶ選手もいれば、呆然自失の選手もいる。そうやって悲しみに暮れながらメンバーが引き上げてきたロッカールームで、監督は何を語るのだろうか。
本書に集められたメッセージは、本当に様々だ。監督の人柄や選手たちの個性。過去の先輩たちが営々と築いてきたチームカラー。ラストゲームを迎えるまでに過ごした日々と、その過程でおそらく確立されたであろう選手たちと監督との信頼関係。そういった様々な要素が凝縮されて、最後の言葉が紡ぎ出される。それは計算されたものではなくて、きっとその瞬間、自然と絞り出されるようにして生まれた言葉たちだ。
中でも、私が最も心を打たれたメッセージを引用したい。第85回大会の準決勝。岩手県立盛岡商業高校に惜しくも0-1で敗れた千葉県立八千代高校の砂金伸監督の言葉だ。
「あと2日間、このチームを解散させずにやりたかったけど、全国大会っていいよなあ。国立競技場、気持ちよかったろう。お前ら日頃から一生懸命やったからこれがあるんじゃねぇか、なあ。プロセスが大事なんだから。適当なことやってるやつにこういう思いはできないんだよ。そうだろ。だから胸を張んなきゃいけないの。でも、今日はね、いいサッカーしてたよ、このピッチの状態で、あの雨の状態で、みんなのいいとこ満載だったよ。でもサッカーだから点取らねぇと勝てねぇんだよな。いい経験したじゃねぇかよ。だからこの経験をした人は、いい大人にならなきゃダメ。たくさんの子供たちに夢を与えられるような大人になれ‥‥‥なってください‥‥‥なってほしいです」
細やかなパスワークを武器に勝ち上がってきた八千代高校にとって、ようやく辿り着いた国立での準決勝は過酷なものとなった。降りしきる大粒の雨で、グラウンドコンディションは最悪の状態。水たまりでボールが止まってしまい、得意のパスワークが機能しない。なかなか得点できず苦しい展開が続く中、ゴールキーパーの植田峻佑がファインセーブを連発。チームのピンチを何度も救い、0-0のままで後半ロスタイムへと突入する。しかし、運命は残酷だった。盛岡商業の右コーナーキック。植田は雨でボールが滑ることを考えて、パンチングで弾き返そうとしたのだが、そのボールは無常にも真下に落ちて、自身の左膝に当たってそのまま痛恨のオウンゴールとなってしまうのだ。
部外者の私には想像する他ないのだけれど、砂金監督はきっと、誰よりも確信していたのだと思う。チーム全員が持てる力の全てを出し切ってくれたことを。誰のせいでもなく、八千代は最高のサッカーをしたのだということを。オウンゴールというあまりに辛い運命も、八千代のメンバーはいつかきっと、新たな夢へのエネルギーへと変えていってくれるはずだということを。そのメッセージのラストにおいて、まさしく絞り出すようにして、選手たちへの指示から願望、そして監督自身の願いへとつながっていく流れが、砂金監督の思いの全てを物語っているといっても過言ではないだろう。心から、素敵な言葉だと思う。選手たちを愛していたことが、言葉の端々から伝わってくる。
本書で紹介されている約80のメッセージを読んでいて興味深いのは、全ての言葉にどこか通底する本質のようなものが感じられることだ。表現の仕方や、選手たちとの距離感は人それぞれでも、心からの愛情と信頼をもってぶつかり合ってきた選手たちに、最後のロッカールームで名監督たちが伝えようとすることは、どこかで普遍的なものへと至るのかもしれない。私なりに読み解くならば、それは「前を見よう」ということだ。高校生たちにとっては一度きりの敗戦でも、監督たちは違う。昨年も、その前も、ずっとチームを率いて全国大会の舞台を戦ってきた強豪校の監督たちは、敗北の意味を誰よりもよく知っているのだ。来年も、再来年も、監督たちは新たなメンバーを引き連れて全国制覇を目指し、そして優勝校以外の監督は、その年の選手たちの涙を受け止めていくことになるのだから。
「今はとことん泣けばいい」という監督もいる。「一生懸命やったんだ、泣くことないじゃねえか」と語りかける監督もいる。「5分間だけ泣いたら、笑顔でロッカールームを出ようぜ」と鼓舞する監督もいる。どの言葉にも真実が詰まっていると、私は思う。「勝負の世界は結果が全てなんだぜ、勝利にこだわれよ」と日々叱咤し続けた監督が、最後のロッカールームで「結果が全てじゃないんだよ」と涙交じりの笑顔で選手たちを称える。矛盾していないと、私は思う。それこそが、スポーツだ。矛盾を内包しながら、それを越えていく。負けてもいいゲームなんて存在しない。敗北を簡単に受け入れてしまったら、チャンピオンシップ・スポーツはその意義を失ってしまう。でも、敗北しないアスリートなどいない。敗北しても前を向いて、前進し続ける人間が育っていくならば、それは素晴らしいことじゃないか。
選手たちには、いつだって明日を見ていてほしい。
そんな監督たちの心が凝縮されたラストメッセージとして、この言葉を書き残しておきたい。
「負けることは恥じゃない、負けることは。恥なのは、負けて立たんこと。負けて立たんこと。次もう1回、お前らの次の道、行くんぞ、ほんまに‥‥‥。もうひとつ、明日は味方だ。誠実に生きよったら、みんな味方してくれる。気分は切り替えな。もう宿舎に帰った時は笑おう。いつものとおりな‥‥‥。次、明日、明日な」
(徳島県立鳴門高校、香留和雄監督(第85回大会))
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レビューでも触れたように、『最後のロッカールーム』はDVD化もされている。神聖なる空間にカメラが入ることの是非について議論があるのは承知しているつもりだが、同じような世界をくぐり抜けてきた人間以外には、なかなか想像の及ばない魅力的な空間なのは確かだろう。
熱い男の代表格といえば、やはり松岡修造だろう。彼が本書で語っていることも、突き詰めれば同じなのかもしれない。ただ、松岡修造の本当の凄さは、挫折に至るまでの本気度ではないかと、私は思っている。恐ろしいほどの熱気ゆえに、彼は本気の挫折をして、そしてそれを乗り越えていくのではないだろうか。
ラグビーの世界で純粋に「極み」を目指した男たちの物語として、本書は外せない。現在は絶版のようだが、一刻も早い復刊が待たれるところだ。1996年度、中竹主将が率いた早稲田大学ラグビー部の軌跡。その熱い魂に、思わず胸が熱くなる。純粋なる本気とは、時に狂気でもあるのだということを、本書は教えてくれるはずだ。