スーパーで売られているエキストラバージン・オリーブオイルの大半は偽物であるーーそんな衝撃的な事実を明かし、全米でベストセラーとなった本だ。
もちろん私も、まさにそこに惹かれて本書を購入したわけだが、実は本書は、歴史、政治、経済、ビジネスなど多様な「オリーブオイルをめぐる真実」に触れられていて、それをネタに何冊もの飛び切り面白い本が書けそうなぐらいなのだ。
例えば、古代ギリシアの、肌に芳香成分を加えたオリーブオイルを塗って「官能を刺激する」習慣について。日焼けした筋骨隆々の男たちがオリーブオイルを体に塗りたくり、それを賛美する習慣が、ギリシャ世界に同性愛を広めたという研究もあるという。となれば、ギリシャ彫刻にオイルを塗りたくって、「古代ギリシャ男子」を再現して、その美を論じる『股間若衆』ならぬ『オイル若衆』なんて本はいかがだろう。なお、当時の筋肉男子たちが塗りたくった芳香オイルのカスは、遺跡の浴場の大理石像などから大量に発見されていて、その成分はすでにわかっており、また再現されてもいるそうだ。
また、古代ローマ帝国では、オリーブオイルは権力そのものを左右したという。『自省録』を書いた五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の出自は現在のスペインはアンダルシア地方においてオリーブオイルで財をなした一族であり、北アフリカのオリーブオイル生産地出身のセプティミウス・セウェルス帝は、アフリカ属州出身ながら、オリーブオイル生産と取引で富を築き、ついには最高権力の座についたそうだ。彼の生き方は古代ローマ時代の「石油王」のようだったという。『オリーブオイルから見た地中海世界』なんていう社会史の本があったなら、一も二もなく買ってしまうだろう。ちなみに本書の冒頭には『地中海』のブローデルの言葉が引用されている。
古代のオリーブオイルは現代の石油に通じる富と権力の源泉だったが、実は現在も、オリーブオイルは石油さながらにタンカーに詰められて世界を行き来している。タンカーでイタリアに輸入された質の悪いオイルは、無味無臭に精製され、工業用葉緑素や少量のバージンオイルを添加され、「メイド・イン・イタリー」のラベルを貼られてエキストラバージン・オリーブオイルとして再び輸出されるという。そればかりか、タンカーで運ばれた綿実油やヘーゼルナッツオイルが、偽エキストラバージン・オリーブオイルに化けることもある。
そんな「偽オイル」を作ったために刑務所に入った、かつてのオリーブオイル王、ドメニコ・リバッティと、疑惑まみれだがぎりぎりのところで捕まらない、世界最大規模の精油工場を持つレオナルド・マルセーリャへの直撃取材を試みた章も実に面白い。イタリアの悪人は実に様になるふてぶてしさ。またマフィア、贈収賄、脱税、タックスヘイブン、スイス銀行とお決まりのアイテムも揃っているので、オリーブオイルをめぐるピカレスク・ロマンが書けそうだ。タイトルは『贋油つくり』あたりで。
悪役の話の次は、マフィアと闘い、爆弾を仕掛けられても屈せず、社会的弱者たちとともに素晴らしいオリーブオイルを作るテッレ・ディ・プーリア農業協同組合の話はどうだろう。彼らはマフィアから押収された土地でオリーブオイルづくりを始めたが、マフィアからの嫌がらせが続く。当初マフィアを恐れて働き手が一人も来なかったが、一人の男の努力で少しずつ人が集まり始める。そしてそのていねい手法が評価されて、スローフード協会などから助けられながら、オーガニックなオリーブオイル作りを続けているのだ。彼らの物語ももっと読みたいところだ。
なお、マフィアから押収された土地で人々が農産物を作った商品を、リベラ・テッラ(意味は「開放された土地」という感じだろうか)という。オリーブオイル以外にも、ワインにパスタ、小麦粉にシチリア産レモンのマーマレードまである。基本的にオーガニックで作られて、イタリアの生協を通じて提供されているが、それにしてもどれもおいしそうで困る。
権力とオリーブの関係は中東ではさらにリアルだ。エルサレムのヘロデ王墓周辺、イスラム教徒のベドウィンも入植者のユダヤ人も自身がその地を支配するために競ってオリーブの木を植えた。「オリーブ農園は権力闘争の縮図で、殺しあう人々が潜んでいる」と当地の大学教授は言う。また、2000年の第二次インティファーダ以降、ユダヤ人入植地付近のパレスチナ人が所有する50万本のオリーブの木が切られたという。ヨルダン川西岸地区分離壁付近の村では、司祭と村人がやってきたイスラエル軍兵士の前に跪き、足元に小さなオリーブの苗を植えた。和解の印だった。その様子を収めた連続写真の最後の一枚は、兵士の軍靴が、その小さな苗を踏みつけているものだった。
ビジネス書でいくなら、大量の質の悪いオリーブオイルの代名詞ともいえる、スペインはアンダルシア(先に書いたマルクス・アウレリウス・アントニヌスの出身地でもある)産ピクアル種オリーブオイルを最高級のエキストラバージンに生まれ変わらせた、ロサとフランシスコのバーニョ姉弟のストーリーはいかがだろう。
かつてロサはコカ・コーラ・インターナショナルのマーケティング部長だった。青いジャガーを操って、ウォーレン・バフェットらとともに取締役会に出席し、一人で30億円の予算を握っていた。そんな彼女が会社を辞め、スペイン大手銀行のマネージャーの立場を捨てた弟とともに、スペインの片田舎で、地道に素晴らしいオイルを作りあげ、ほとんどの店で門前払いされながら、レストランの裏口を回り続けて営業したのだ。
今はまさに収穫期最初の搾りたてオリーブオイル、ヌーボーの季節、私も思わず注文してしまった。
オリーブオイルをめぐる旅行ガイドというのもアリだ。オリーブオイルリゾートのヴィッラ・カムペストリでは、オリーブ農園や搾油工場が見学でき、感覚科学のセミナー、テイスティング指導などが受けられる。そして、オーナー自身が考案したオリーブオイルバーでは、蛇口をひねると、熱、光、酸素を遮断し大量保存容器に入れられた「スーパー・プレミアム・エキストラバージン・オリーブオイル」(長い!)が流れ出てくるのだ。こちらを見る限り、かなり評判は良い。いつか訪ねてみたいものだ。
さて、ここまでいろいろ書いて来たが、特筆すべきは、どの章を読んでも、本当においしいエキストラバージンオリーブオイルを味わいたくなることだ。読みながら私はいてもたってもいられなくなり、思わず虎の子のオイルを空け、ちびちび舐めながら本書を読み進めた(舐めすぎて最後にはちょっと気持ち悪くなった。ギリシャ人みたいにコップ一杯のオイルを飲み干すにはまだ修業が足りないようだ)。舐めるオイルが偽物でない限り、この読み方はかなりオススメである。前述のロサとフランシスコ姉弟の「2012ヌーボーファーストディオブハーベスト」なら最高だろう。
尚、日本版には日本オリーブオイルソムリエ協会代表理事の多田俊哉氏の解説がつけられているが、これがまたいい。こちらでほぼ同様の内容の文章が読めるが、この協会が、これほどストイックで、世界レベルの情報を網羅し、勉強熱心で、使命に燃えた熱い組織であることは驚きだった(◯◯ソムリエというだけでいわゆる「検定ビジネス」系かと。ほんとうにすみません)。それを知ることができたことも、本書から得た収穫のひとつである。