いつの時代だってスーパースターは大変だ。一つの分野で傑出した能力を発揮すると、他の領域でも通用するものかと普遍性を問われる。
もしもイチローがピッチャーだったなら。もしもファインマンがマイクロソフトに入社していたら。もしもマイケル・ジョーダンが大リーガーだったなら… その中にはジョークで終わったものもあれば、果敢に挑戦したケースもある。
ならば、これはどうだろう。
もしもニュートンがビジネスマンだったなら。
これが「もしも」で終わらないから、ノンフィクションはやめられない。
アイザック・ニュートン。当代から現代に至るまで、あらゆる人々から史上最高の自然哲学者と認められており、言わずと知れた近代科学の礎を築いた人物である。
あまり語られることもないのだが、彼には晩年、イギリスの造幣局監事として働いていた時期があった。多大なる科学での功績を認められ、悠々自適な名誉職であったのかと思いきや、決してそうではなかったのである。
ニュートンが着任した1696年、イギリスの財政は瀕死の重傷にあえいでいた。なにしろ流通する全硬貨のおよそ10%が贋金という惨状であったのだ。それほどまでに贋金がまかり通ったのは、イギリスの通貨制度に致命的な欠陥があったからである。
当時のイギリスは銀本位制。だが、国ごとの銀の価値の差によって利益が得られるため、削り取りという行為が横行することになる。削り取りは死刑に処せられるほどの重罪であるにもかかわらず、一向に減る気配はなかった。そんな中でお呼びがかかったのが、ニュートンであったのだ。
彼は新旧すべての銀貨を混ぜて鋳造し直すことを提案する。いわゆる大改鋳と呼ばれるものだ。と同時に、新硬貨の重さと額面価格の割合を変えることも主張した。今でいう通貨の切り下げである。ニュートンは、この時すでに貨幣を抽象概念や変数として理解していたのだ。
だがニュートンには、彼自身がまったく気乗りのしない仕事も待ち受けていた。造幣局監事の業務には法律上も伝統上も、国王の通貨を守る義務が生じていたのだ。すなわち、通貨をごまかしたり偽造したりする者がいれば、それを阻止し、捕まえなければならない。
彼が在職中の4年間に、追跡し、逮捕した貨幣鋳造者や贋金作りは数10人に上る。その中でも、ニュートンが自分の並外れた知性に対抗し得ると唯一認めた敵が、ウィリアム・チャロナーなる人物であった。本書の後半部では、膨大な資料と綿密な調査をもとに、ニュートンとチャロナーの贋金事件における息をもつかせね攻防が描かれている。
チャロナーがニュートンと対峙するまでに歩んだ道のりは、ニュートンとは全くの正反対の軌跡を描くものであった。釘製造業に始まり、時には性産業の末端に首を突っ込み、仕上げは漆工に手を染める。その一つ一つが着実に贋金作りへと集約されていく。この二人の対決は、まさにアカデミックVSストリートの様相を呈していたのだ。
チャロナーは、自分の身の回りで革命が起きていることをきちんと認識しており、理論や実践の急進的な変革によって生まれた機会を捉えるだけの才覚は持ち合わせていた。硬貨、イングランド銀行券、モルトくじ、その節目節目を抜け目なく抑え、科学革命の余波を自分のチャンスへと変えていったのである。
チャロナーが犯したのは、けっして些細な罪ではない。彼自身が偽造したと主張する3万ポンドという額はかなりの大金で、現在の貨幣価値に換算すれば400万ポンドに相当するという。チャロナーが狡猾だったのは、表のロンドンと犯罪の影が漂う裏社会の境界を、誰よりもうまく泳いだという点にあった。
彼は、国全体を舞台に暗躍するという目的を持ち、長期的視点でものごとを考える力を持っていた数少ない犯罪者だ。そして、人の手を借りずに贋金を市場に出す方法が一つだけあることを知っていた。それは造幣局を通じて流通させるという策である。この計画は、すんでのところでニュートンの手によって防がれることとなった。だが、チャロナーはそのプロセスにおいて、ニュートンを被告席へ立たせるまでに追いつめたのである。
かくしてニュートンの心は、激しい怒りに包まれた。なりふり構わず情報屋に酒をおごり、諜報役の手並みを褒めそやす。それどころか自身や手下が捕まえた容疑者は自ら尋問までしたのだという。その多くは、苦痛ではなく恐怖を与えるやり方であった。そうして集めた情報をきめ細かく精査し、科学者然と理論を組み立て、チャロナーを絞首台へと送り込んだのである。
突き詰めれば、本書で問われているのは知的能力とは何かということだ。稀代の物理学者による能力は、はたして実学の領域でも才を発揮するような万能なものであったのか?
一連の大捕り物の様子を改めて振り返ると、残念ながらチャロナーあってのニュートンという側面が否めない。ニュートンはあくまでも引き立て役であり、犯罪者としてのチャロナーの大胆不敵さゆえに、この事件は読み物としてスリリングなのだ。そう考えると、ニュートンは造幣局監事として優秀ではあったのだろうが、科学の領域における類まれな業績に比べると、秀才止まりという印象すら受ける。
だが、その一部分だけを切り取ってニュートンの能力を推し量ろうというのも、いささか早計なことであるだろう。重要なのは、造幣局監事としての数年間も、彼の人生の多岐にわたるアウトプットにおいて、ポートフォリオの一角をなしていたということなのだ。
ニュートンの人生における一貫したテーマは、神との交流への渇望というものであった。ニュートンの新しい物理学は、彼が考える偏在的で全能で全知の存在、あらゆる時空の物質世界で活動する明確な存在の神を受け入れるための議論となっていたのである。
彼が欲し、求めたものは、新しい科学によって神の役割が小さくなる中、自然界における神の御業を目にみえる形で実証することであった。それゆえの、錬金術である。自らの手で卑金属の混合物を金に変えることができれば、それが神の精を示す現実的で物質的な証明となり、その証明に敵うものはないと認識していたのだ。
チャロナーに対する執拗な対応からは、意外なほどにニュートンの人間的な感情が垣間見える。これはチャロナーの贋金作りが、金を無限大に増やすという錬金術師の夢の不敵なパロディーに他ならなかったためではないかと推察される。彼のチャロナーに対する残忍性は、神に代わって天誅をというほどの心意気を思わせるものがあるのだ。
造幣局監事としての数年間は、ニュートンの輝ける科学人生においては余白のようなものであったのかもしれない。だが、その余白を通すことによって、ニュートンが夢見た壮大なる科学、その輪郭のようなものが見えてくるから面白い。
才気溢れ、論理的で、冷静にものごとを考え、破綻をきたした古い概念は捨て去り、目標へ向かって邁進する科学者ニュートン。翼のないドラゴンとか地獄の炎などと大声でつぶやき、通りをふらふらと歩き回った錬金術師ニュートン。
本書で描かれているのは、そのどちらでもない、見たこともないニュートンだ。知られざる犯罪捜査官ニュートンの姿を、とくとご覧あれ!
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かつて夏目漱石は建築家を志していたが、その後、その夢は打ち砕かれてしまう。だが、デザインという言葉もなかった当時の漱石の文章を振り返ると、秀逸なデザイン論になっているそうだ。もしも夏目漱石が建築家だったなら。
意外なことに、探偵というものがこの世に登場したのは、小説のほうが先であったのだ。1841年のエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』にてである。現実世界における最初の探偵は、その翌年、ロンドンの首都圏警察によって任命された。その時に刑事課を構成した八人のうちの一人、ジョナサン・ウィッチャー警部が本書の主人公の一人である。
HONZの前身、本のキュレーター勉強会の、栄えある第一回目の課題図書。昔のレビューを見るのは、嫌なもんですなぁ。