2008年12月に出版された単行本の文庫化にあたって、著者から出版社経由で解説を仰せつかった。大好きな作家なので二つ返事で請け負った。二つ返事だから「はいはい」と、じつに軽やかである。
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森博嗣は理系の頭脳と柔らかな言葉のセンスをあわせ持つ稀有な作家である。もちろん、理系といってもたんに理工科系の大学を卒業したということではない。大学でコンクリート工学の教鞭をとっていたうえに、専門外の理工学分野でも玄人裸足なのだ。
つまり、森博嗣の前では玄人でも慌てて裸足で逃げてしまうほどなのだから、本人は悠々と白衣を着てサンダルを履いていれるのである。嘘だと思うのであれば、本書の表紙をじっくりご覧になっていただきたい。
本書からその玄人裸足ぶりを抜き出してみよう。たとえば宇宙工学の分野では月面基地建設に否定的だ。月面から資源を運ぶコストが高すぎるというのだ。じっさい宇宙資源開発の最先端ではやっと月よりも小惑星に目が向けはじめられたようだ。
航空工学の分野ではさらに現実の先を行く。尾翼が前についた、つまり先細りの形をした奇妙な飛行機がこれから増えてくるのではないかと予測している。つまり主翼が現実だとすると、先端についた尾翼が未来ということになる。これからの航空機開発のヒントになるはずだ。
しかし、本書の目的は玄人を蹴散らすことではない。素人に科学や工学の楽しさを伝えることにある。たとえば、AMとFMの違いを簡単に説明したあとに、光にたとえてAMは光の強弱、FMは光の色の違いだとまとめる。これほど簡単に説明がつくのかと理科の先生たちも裸足で逃げるであろう。
赤外線を説明するために、テレビのリモコンをケータイのカメラ機能を使って見てみるべきだとそそのかす。おお、たしかにピカピカと点滅しているではないか。明日から理科の先生たちが授業で使うであろうし、学校帰りのカラオケでもこれ見よがしに選曲リモコンにケータイを向けているであろう。
本書の土台のひとつは森博嗣の広大無辺、変幻自在な曼荼羅趣味世界である。そのため、本書を読んで興味をもったら「森博嗣の浮遊工作室」というサイトに足を運ぶのも悪くない。
たとえば本書でブーメランが手元に戻ってくるのは、翼の揚力だけでなくジャイロ効果であると説明される。この説明でピンとこなければ「森博嗣の浮遊工作室」を覗いて見ると良い。サインカーブを積分するとコサインになるからだと丁寧に説明してくれている。ちなみにこの密室内でのタンジェントとの三角関係の説明はないから要注意である。
ところで、森博嗣はスペースシャトルで紙飛行機を飛ばすとどうなるかを完璧に予想した。前後・左右・上下の3つの軸の動きを考えてみたのだという。その結果は本書を読んでもらうとして、さらに知りたければサイトではヘリコプタの思考実験もしている。
ところで、表紙は博士である著者と、奥様でイラストレーターのささきすばる氏、そして愛犬パスカルをモデルにしたと推定されるクレイフィギュアだ。すばる氏の作品である。すばる氏のイラストは本書を構成する重要な要素だ。
いかに本書が博士と助手の会話で構成された理解しやすい本だとしても、イラストがなければ価値は半減するかもしれない。内容を理解するためだけなら、文章だけの本でも良いかもしれない。しかし、それだけでは記憶に残りにくいのが科学だ。理系の学会発表で写真や図版が大量に使われるのはそのためであろう。
森博嗣を知る読者は幸せである。ミステリーと科学とユーモアを同時に楽しめるのだ。「博士、質問があります!森博嗣中毒になった場合の治療法を教えてください!」