この作品は大正14年に都新聞なる新聞の演芸欄に連載されていたものを、昭和39年に一度単行本化、その後復刊されたものだ。インタビュー方式といえば言いうだろうか。都新聞の記者である宮内好太郎が喜熨斗古登子(きのし ことこ)に江戸末期から明治初めにかけての吉原について質問し、古登子が語るという形式で書かれている。この喜熨斗古登子なる人物は、歌舞伎役者の初代市川猿之助の奥方だ。実家が吉原で「中米楼」という楼を営んでおり、喜熨斗古登子も市川猿之助に嫁ぐまで、家業の手伝いなどをしていたようだ。
“吉原の話、それは大変ですよ。なにしろ江戸といわれた時分には、お江戸の名物三千両といわれましてね、吉原、魚河岸、芝居街の三ヶ所は、烏カアカアで、一夜明けたが最後、その時分の金で一千両は動いたというくらい、豪勢なところでしたから、それだけ御威勢のあるところとされていたものです”
吉原の話を渋る喜熨斗古登子に宮内好太郎は「大船に乗ったつもりで」と受けあう。
“船の都丸は確かでしょうが、船頭がお前さんでは心もとないね。灘は乗切れますかい。”
と切り返す。万事がこの調子で実に愉快。落語家でも聞いているような感覚に浸ってしまう。落語といえば当時は寄席が大変な人気で、落語では三遊亭円朝、義太夫では和国義太夫などが人気があったそうだ。和国義太夫などは色白の美男子であり、あまりの色の白さに薄化粧をしているのではとの噂まであった。また鶴沢弥吉という一座が美男子軍団を率いて一時は江戸の話題をさらったという。江戸のアイドルグループといったところだろうか。このような、江戸文化の一面を垣間見ることができるのも、本書の魅力であろう。とはいえ少し話がそれた。廓の話に戻ろう。
“花魁から引留められて泊まったとしまさね。この泊まるというのは余り粋な遊び方ではないのですが、まあ泊まったとしましょう。朝となりまさ。そしてお手水となりましょう。そんな時まず耳盥に向っていきなり楊枝を使わないことです。そんなことをすれば、惚れかかった花魁も寝返りを打ってしまいますよ。”
遊ぶ旦那衆は大変だ。お金が大量に必要なのはもちろんだが、お金だけでもいけない。常に粋な心と洒脱な精神が求められる。吉原でもっとも嫌われることは野暮であることだ。お手水(ちょうず)とはトイレのことをさす場合が多いが、ここでは朝の身支度と捉えるべきだろか。ではどうすれば「花魁が寝返りをうたない」のだろうか?まずは小菊(紙)か白紙を二つ折りにし、三枚を耳盥の下に敷く。すると花魁が含嗽茶碗に、三杯だけ水か湯を汲んでくれるので、最初の一杯で口をすすぎ、次で顔を洗い、最後に髪を撫でつける。この三杯で夜の乱れた気分をとどめないようにすることが、廓馴れ(なかなれ)した粋な通人ということになる。花魁の目の前で無遠慮に楊枝で歯を磨くなど、無粋な真似は許されないのだ。ひとつひとつがこの調子である。遊ぶほうも真剣勝負なのだ。となれば花魁も粋な男を相手にするために、教養や知性を磨きあげなければならない。
花魁になる女性たちは、10代の前半に吉原に売られてきた少女たち。彼女達はまず、姉女郎に付かされ、禿と呼ばれることになる。この期間から太夫を目指し、英才教育が施されていく。その後15、16歳くらいで振袖新造となり、姉女郎の元で接客等を学び、ときに姉女郎のお客がかぶった場合、その相手もする。ただし、お客と寝ることは許されない。男のほうもで花魁が現れず振袖新造のみの接待であっても、通常の料金をしはらい、文句を言わないことが粋とされていた。
振袖新造が17歳くらいになると、遊女としてのデビューするために「つきだし」がおこなわれる。ずいぶんと豪華絢爛なものであったようだ。また花魁が独特の衣装を着て歩く、花魁道中の際に行う「八文字」という歩き方は振袖新造時代に3年ほどかけて習得する。重い衣装を身に着け、高い下駄を履いて歩くのは予想以上に体力を消耗するようで、練習によって体を壊し、寝込んでしまう女たちもいたらしい。なんとも大変な話だ。しかし、見事「つきだし」を行い、晴れて花魁と呼ばれる高級遊女になれば箔が付き、しかるべき身分の人に気に入られ、身請けされる可能性が高くなる。喜熨斗古登子によれば、楼の経営者も花魁たちが良家に身請けされることを大変に喜んだという。
“身分相応のお客様に見受けされ、廓の引祝いも十分派手にし、さすがは全盛を唄われた花魁の引祝いだけのことはある、という評判をあとにして町を出て、そこのお家では立派に御内室様と人からも立てられ、廓にいた者だからとうしろ指を指されないように行いますと、つまり立兵庫から丸髷になるまでを出世奉公という廓の言葉がございますが、この出世奉公という言葉を十分噛みしめて味わって頂くことが、この吉原夜話の一番大切なことです。”
このように、彼女達が玉の輿に乗って娑婆に戻ることを「出世奉公」と呼んでいたことが分かる。今の感覚で言えば「え?」と思ってしまう。本当に「出世」などといえるのか疑問に思う。ただ、これも吉原の文化の一面かもしれない。そんな吉原には、宗教的な行事や様々な文化が、遊びや町の運営の中に織り込まれている。廓の中の人々は、複雑なしきたりや習慣、宗教行事をことのほか大切にしていることが話の節々から伺われる。
このような文化の中には時として、差別や身分の格差を内包したものがあるのではないだろうか。人は剥き出しのそれらに耐えられるほど、強くはない。故に文化というレベルにまで物事を昇華し、その文化に自己を埋没させることによって、人生を彩ったのかも知れない。逆に人権思想が発達し、人々を包む文化の一部が薄れてきている現在では、人権の網の目からこぼれ落ちた人たちに、より剥き出しな差別や、欲望の感情が向けられているのではないだろうか。身分制度や差別などを内包した文化には様々な功罪があるともう思うのだが、もう一度それらの物を見つめ、紐解いてみることに何らかの意義が見出せるかもしれない。現代における、人権の発達を否定するつもりはもちろんない。それが多くの人のプラスになっていることも分かっている。だがそうすることで、文化の功罪をあぶり出し、現代の社会に照射することによって、過去から今に続く様々な社会的問題に、新たな視点を与えてくれるようになるのではないかと思う。過剰なまでに豪華絢爛な文化、信心深く煩雑な習慣、「粋」を愛する心の中に、そんな思いを少し持ってしまった。
念の為に言うと、この本は文化を論ずる本ではない。吉原の文化を懐疑的に捉えているわけでもない。江戸の頃の吉原を知る喜熨斗古登子が江戸弁で語る、吉原の風俗や文化を楽しむための本だ。とても洒脱な語りに、当時の吉原の優美な残り香が感じられる。しかし、その残り香にほんの少しだけ異臭が漂っているのを嗅いだ気がしたまでである。この僅かな異臭こそが、優美な残り香を際立たせているのかもしれないとも思う。
なにやら、文化論じみた話になってしまった。少し野暮だったかもしれない。これでは「惚れかかった花魁も寝返り打ってしまいますよ。」という喜熨斗古登子のお叱りの言葉が聞こえてきそうだ。
本書には他にも、花魁の衣装、髪型などから彼女達の生活の様々な場面。江戸の町の交通、治安、娯楽、名物料理屋。粋な幕臣に無粋な薩長の侍といった、江戸の文化や生活に関する話。上野戦争時に一部の侍がヤケクソになり、吉原で揺すりタカリを働くなどの珍エピソード。また上野戦争後、急速に没落する武家などを庶民の目線で見つめた歴史的な話まで、喜熨斗古登子の語りは、縦横無尽に繰り広げられる。これらの話も江戸弁で語られ、無味乾燥な、お堅い歴史書とはまた違い、独特な香りを放っていることは言うまでもない。
--------
実はこの本はまだ読んでいない。なので質の保障は出来ないが、今は忘れ去られた遊郭というものをもう一度見つめなおしてみたいと思い手にした本。
HONZでこの本のレビューを見るまで、飛田のことをまったく知らなかった。これだから読書はやめられない。内藤順のレビューはこちら
成毛眞が連載を始めたCOURRiER Japon でも紹介している本。粋な大人になりたい。