HONZに参加して以来、自分がどのような本を取り上げてきたのか、棚卸しなんぞしてみた。最初のダムはともかく、銀座のインド料理屋、川崎を本拠地としていたプロ野球球団、東京スカイツリーと東京タワー、自由が丘のスイーツ。いかん、いかん、エリアが東京近郊に寄り過ぎている。オレは東京ウォーカーか!HONZは全国区の媒体だぞ。
そんなわけで思い切って東京を離れ、遠征へと出かけることにした。遠征に出かけるとなると、ついつい羽目を外したくなるのが、男の性(さが)。そうこうしているうちに辿りついたのが、飛田新地である。と、誰に問い詰められたわけでもないのに弁解してみる。
飛田新地は、大阪市西成区に今なお存在する色街だ。面積は、概ね400メートル四方。北寄りが「青春通り」 「かわい子ちゃん通り」、南寄りが「年増通り」「妖怪通り」「年金通り」などと呼ばれている。碁盤の目の街路に沿って居並ぶ「料亭」の合計は、160軒(2011年)ほど。間口が二間であることも、おねえさんが上がり框にちょこんと座り、曳き子のおばちゃんが脇にいることも、ほとんどの店が共通だ。
「東京広しといえどもああいう町はどこにもない。そのうちなくなってしまいそうだから、記録しといたら」 と在京の友人に言われたことをきっかけに、著者は飛田新地の全貌を描くことに挑む。そこは、百年も前にタイムスリップしたような、映画のセットのような光景の町、はるか昔に売春防止法ができたことも、「人権」なるものが世に存在することも知らないような町。
本書は2000年から2011年までの足掛け12年、著者が飛田の住人をはじめ、この町とどっぷり関わる人たちと交流しながら書き留めた記録である。 ふらふらとタイトルにひかれ、冷やかし半分で読み進めていったら、最後には後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
飛田の町の主な構成人員は、経営者、おねえさん、おばちゃんの三者である。約160軒の料亭の中には一人で複数軒を持つ人もいるから、経営者は140人余り、おねえさんは昼夜合わせて推定450人、おばちゃんは推定200人。ちなみに、経営者は皆、飛田新地料理組合に属している。
飛田の店は「料亭」である。曳き手おばさんの言う「にいちゃん、遊んで行ってや」の「遊び」とは、料亭の中で、ホステスさんとお茶やビールを飲むこと。お客が案内される部屋はホステスさんの個室。その中で、偶然にも「ホステスさん」とお客が「恋愛」に陥る。恋愛がセックスに発展することもあるが、それは決して売春ではない。だから支払う料金も、ビールやジュースや菓子の料金である。今、表向きにはそういうシステムなのだ。
性を商品とする女性たち、いわゆる風俗嬢やAV女優たちのライフストーリーを描いた書籍は、これまでに何冊も読んできた。しかし、本書の取材対象はその類とは一線を画すものを持っている。それは、飛田が”中”と”外”との結界を貝殻のように固く閉ざしている、取材拒否の町であるということだ。また、基本的に「ノー・ピクチャー」の町でもある。やってはいけないことを地域ぐるみでやっていることは誰の目にも明らかだが、「それを言っちゃダメ」という無言の圧力が、町全体にあるのだ。
そんな中で著者は、飛田に行ったことのある男友達、飛田の居酒屋、そこで知り合った経営者、飛田新地料理組合、飛田で働く女の子、おばちゃん、不動産屋、暴力団、パチンコ屋、警察と、取材の範囲を拡大をしていく。いずれもほんの僅かな隙間に手を差し込み、道を切り開いていったものだ。
12年に及ぶ取材中、その身に危険を感じたのが五度。抱きつきスリ、白い粉の売人に声をかけられたこと、路地の立ち飲み店で、突然お客同士が殴り合いの喧嘩を始めたのに遭遇したこと、ビール一本と枝豆とおからで3500円要求されたこと、深夜の帰路、「こてんぱんなヤツ(こてんぱんにして、身ぐるみはがすヤツ)」の気配を感じたこと・・・
それぞれの取材の断片を読みながら感じたのは、この飛田新地という町を構成する要素は、人間の細胞のようなものであるということだ。人間の細胞は集合体になることによって、初めて意識や心を形成する。しかし、細胞単体という物質をいくら突き詰めていっても、心という精神的なものに到達することはできない。飛田の町も同様だ。経営者、女の子、おばちゃん、客、どの側面を掘り下げていっても、町全体の心を覗き込むことは不可能なのである。その限界を、著者は「多面体」という言葉で著している。
人は多面体だ。経歴を問われ、答える時、軸足をどこに置くかによって、いかようにも話すことができる。自分を正当化するなり、卑下するなり、微妙な創作を他意なく加えがちだ。
それならば、見えてきたものは一体何なのか?それは、絶えまない流れの中にある”淀み”のようなものである。1912年に設置されて以来、大きな変革を迎えたのが1958年の防売法のころ。この施行をもって、飛田は公認遊郭から赤線の道へと辿っていった。
百年近くに及ぶ波乱の歴史の中で、当然のごとく飛田を構成する人間は、一人残らず入れ替わっている。それでも、飛田には飛田であり続けていることの不変性があった。ミクロに見ると常に変化しているが、マクロに見ると変化していないもの、そこに著者は着目したのだ。
著者は過去の資料と、現在の取材内容を照らし合わせることで、二つのポイントを発見する。一つ目は貧困の連鎖である。誰が言いだしたか、「住めば天国、出たら地獄」という言葉が、飛田にあった。
多くの「女の子」「おばちゃん」は、他の職業を選択することができないために、飛田で働いている。他の職業を選べないのは、連鎖する貧困に抗えないからだ。抗うためのベースとなる家庭教育、学校教育、社会教育が欠落した中に育たざるを得なかった。
もう一つは、自己防衛のための差別がまかり通っているということである。飛田の人間は”外”の人間から、これまでさんざん”下”に見られ、差別的扱いを受けてきた。その飛田の人たちが、自分より”下”と思われる人を見つけると、自分が”上”の位置にいることの誇示と、普段抑圧下にいるストレスの発露から、信じられないような差別用語を連発したそうだ。
そして、何よりも衝撃を受けるのは、その飛田における差別の構造を、安全区域から見下ろして眺めている自分自身に気付かされた時なのである。そのくせ「じゃあ、お前は飛田で遊んでみたくないのか?」と問われると、否定はできないからタチが悪い。こちらの多面体も、いささか途方に暮れている。
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本書の表題は『盆踊り』。しかし、副題を見落とさないで欲しい。「乱交の民俗学」と書かれてある。さらにオビには「<盆踊り>とは、生娘も人妻も乱舞する”乱交パーティ”だった!」の文字が。これはもはや、只事ではない。
飛田新地とおなじく、大阪市西成区にある通称”釜ヶ崎”。いわゆるドヤ街として有名なこの地区だが、2000年代に入ってからは外国人旅行者も増え、まちづくりの機運が育まれているという。そんな釜ヶ崎の、これまでと今を描いた一冊。
穴は穴でも、この穴はあの穴ではない。日本各地の廃墟や歴史的遺構を中心に、北は北海道から南は沖縄まで。12ヶ所の「穴」は、いずれもディープさに溢れ、日本の近代史を雄弁に物語る。