この書評を書くために確認したいことがあって、著者の代表作である『全国アホバカ分布考』をまた読み始めてしまった。1993年に出版された本である。単行本と文庫本で合わせて3冊も持っている。もっともお気に入りの本の一冊なのだ。この本は難解な柳田國男の「方言周圏論」を、「探偵!ナイトスクープ」というバラエティー番組の中で、視聴者の笑いを誘いながら実査したノンフィクションだ。著者はアホとバカの境目が日本地図上のどこにあるのかを、番組用データとして調べていくうちに方言の深淵に気づく。あくまでも視聴者目線で書かれているが、第一級の「言語地理学」の論文でもあった。
ところで「方言周圏論」とは京都で生まれた新語が1年に1キロメートルというようなスピードで、同心円を描いて全国に伝搬していったという説である。つまりアホは新しい京都語であり、バカは古い京都語である。しかし、今回の言葉調べはテレビと芸人による、全国的で瞬間的な言葉の伝搬についてなのだ。
本書で取り上げられている言葉は「どんくさい」「マジ」「みたいな。」「キレる」「おかん」の5つである。まずは序章で「どんくさい」が語られる。なんと、この言葉は著者が意図的に全国に広めようと決めて、そのとおりになった言葉だというのだ。
1970年代後半に放送されていた「ラブアタック!!」のディレクターだった著者は「どんくさい」が当時は関西だけで使われる方言であることを知る。そして出演者の上岡龍太郎や横山ノックなどが使う「どんくさい」というセリフを一切カットしないで放送することに決めたのだという。やがて「どんくさい」は『現代用語の基礎知識』にも掲載されるほどになる。そして、ついには映画「千と千尋」の中でキーワードとして使われるようになるのだ。
序章に続いて「マジ」が取りあげられている。もちろん江戸時代まで遡った「マジ」のルーツ、それを全国化した芸人と放送番組などは基礎的な知識として調べ上げられる。さらに続けて「マジ」が東西落語界の交流によって伝えられたものであり、それゆえにこれからの落語界が楽しみであると畳み掛けたうえで、その要石であった6代目笑福亭松鶴の人徳を偲び、関西の粋(すい)と関東の粋(いき)の違いにまで話が及ぶ。
たしかに現代日本語は言葉遣いの名人である芸人たちによって革新されつつあるようだ。その過程や芸人を知ることは、これからの市民文化だけでなく、その本質や世界観を探ることにつながるかもしれないと著者は諭す。
それにしても「ムカつく」が関西方言だとは知らなかった。てっきり渋谷のコギャルが作った言葉だと思っていた。「方言周圏論」で計算すると350年以上の歴史のある言葉だというのだ。さぞかし公家たちは武将たちに「ムカついて」いたことだろう。
【追補】
『全国アホバカ分布考』は本当に買って損はない本である。ボクの読書傾向に似ている人は心の底から楽しめるであろう。テーマが何百年という言葉の歴史であるだけに、いつまでも古くならないので、いまも新刊として読めるはずだ。つまり『アホバカ』を読んでから『お笑い』を読むことをお勧めする。『アホバカ』は文庫本で買って、『お笑い』は図書館でもよいかもしれない。それほど『アホバカ』は手元に置いておきたい本なのだ。