「NODE」は アート雑誌である。この雑誌の「ビジネスに効く、非ビジネス本」という書評欄を担当している。
著者のオリヴァー・サックスは現役の脳神経科医であり、アカデミー賞ノミネート映画「レナードの朝」の原作者だ。レナードの朝では治療不能な難病「嗜眠性脳炎」の患者とその主治医が主人公だった。嗜眠性脳炎とは30年以上も眠り続けるという不思議な病気だ。映画になるまではほとんど知られていない病気だったが、本書にはさらに不思議な精神的症例が数多く登場する。しかも、そのすべてが音楽に関係するのだ。
最初に登場するのは、幸運にも落雷から生還した42歳の医師だ。この直後から医師は激しい音楽の波に飲み込まれる。突然のピアノ音楽に対する渇望からレコードを買い集め、ピアノの練習をはじめ、ついにはコンサートデビューし、ピアノ曲を作曲して喝采を浴びてしまう。音楽の才能とは先天的・後天的をとわず天賦のものかと考えさせられる。
ある特定の音楽を聞くと癲癇(てんかん)を起こす患者たちも登場する。規則正しいリズムに反応するのではない。たとえば、ナポリ民謡にだけ反応して発作を起こすのだ。あくまでも、「音」ではなく「音楽」によって引きおこされる症状なのである。このような発作は高度な知的レベルで起こっているのだ。
いっぽうで、重度な音痴とも表現できそうな「失音楽症」に悩むひとも登場する。複数の音が重なるとまったく認識できなくなる症状だ。ある教師は国歌が流れてきても認識できず、ほかに人が立ち上がるまでわからないという。交通事故後に突然ハーモニーが認識できなくなったプロの音楽家もいる。
もちろん音楽サヴァン症候群も登場する。サヴァンとは知的障害や自閉症障害をもちながらも、常人には及びもつかない特殊な能力をもつ人たちのことだ。たとえば2000曲以上のオペラのすべての楽器の楽譜を記憶しているひとがいる。
本書は29章で構成された大部である。病的な音楽好きで知られるウィリアムズ症候群や、音に色がついて「見える」共感覚など、すべての章で驚くべき事実が紹介されているのだ。音楽はかくも人間の精神と不可分な存在なのである。
いっぽうで視覚アートの世界では、わがゴッホやムンク、山下清も精神的・知的障害があったことが知られている。芸術を媒体とすると、正常と非正常の境界線はじつに曖昧なのだ。残念ながら視覚アートの世界では本書のような著作は見当らない。しかし、アウトサイダーアートなどをビジネス化するときには、心にとめておくべきことであろう。