- 作者: 佐々 涼子
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出版社: 集英社
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発売日: 2012/11/26
誰もがいつかは、死を迎える。
あなた自身も、そしてあなたの愛する人も。
もちろん私も、そして辛いことだけれど、私の愛する人もいつか。
死とは何だろうか。
死に行く人にとってそれは、命の終わり。現世という旅路のいちばん奥にそっと置かれたベッド。
ならば、残された人にとって、死とは何だろうか。
愛する人の命は、もうそこにない。でも、そこに残ってしまうもの。もう二度と戻ることのない究極の「喪失」でありながら、それでもそこに厳然と「存在」してしまう現実。残されたものたちが向き合う死というものが、そんな絶望的な矛盾の中にしかないものだというならば、その時、人には何ができるというのだろうか。
大切な、かけがえのない人の遺体と向き合う。
遺体。もうそこに時を刻む生命は宿っていない。でも、遺体は時を刻む。葬儀を終えて、火葬場に運ばれて。遺体と向き合うことのできる時間は、それまでのとても限られた、わずかばかりの時間。
でも、もしかすると、それでいいのかもしれない。
わずかばかりの時間が、きちんとそこにあるならば。
ずっとその時間が続いてしまったら、悲しすぎるじゃないか。
もう戻ってこないあの人が、戻ってくることのないままに、ずっとそこにいるなんて。
でも、たとえ限られたものだったとしても、お別れの時間がなかったとしたら、あまりにも辛すぎるじゃないか。あの人とも、あの人を失った悲しみとも、ずっとお別れができないなんて。
だからこそ、きちんと悲しんでもらいたい。
きちんと悲しんで、ちゃんとお別れをする時間のために、心を尽くしたい。
そして、最後は忘れていってほしい。その悲しみと一緒に。
本書はそんな人間達の物語。
遺族を悲しませないためではなくて、きちんと悲しんでもらうために生きる人達の物語だ。
エアハース・インターナショナルという会社がある。「国際霊柩送還」を専門として設立された、日本で最初の会社だ。「国際霊柩送還」という概念は聞き慣れないものだが、無理もない。そもそも、この言葉自体がエアハースの登録商標であり、必ずしも一般的な用語ではないそうだ。また、エアハースが設立されたのは2003年のことなので、まだ日本に持ち込まれて日の浅い概念でもある。
国際霊柩送還とは、外国と日本との間で遺体の搬送を行い、遺族のもとに届ける業務だ。人はいつか死ぬものだが、いつどこで死を迎えるかは分からない。海の向こうに暮らす在留邦人や日本人の海外旅行者が現地で命を落とすこともあれば、日本国内で外国人が亡くなることもある。当然ながら、死因も様々だ。事故や病気によるものもあれば、自然災害やテロに巻き込まれることもある。自殺もあれば、他殺もある。死はいつだって、一様ではない。それでも、遺体を外国から日本へ、あるいは日本から外国へ送り届ける必要があるならば、そこには常に国際霊柩送還という任務が存在している。死因が何であっても、遺族が誰であっても、エアハースの国際霊柩送還士たちは、遺族のもとへ遺体を運ぶ。ちなみにエアハースは、スマトラ沖地震やアフガニスタン邦人教職員殺害事件、クライストチャーチ地震といった悲劇の現場においても、多くの遺体の搬送を担っているそうだ。
国際霊柩送還は、とても辛い仕事だ。現場はいつも過酷で、辛く厳しい。もちろん「死」を扱うというだけでも生半可なものではないが、国家間での搬送業務となると、その業務はさらに困難を極める。現地確認もままならない外国に安置された遺体。いや、時によっては「安置」されているとも限らない。現地の専門業者と連絡を取り合いながら、搬出の準備をひとつずつ進めていくのも容易ではない。一方で、残された遺族とのコミュニケーションも欠かせない。悲劇の当事者である遺族たちの心に寄り添い、状況を適切に伝えながら、全ての仕事が進められなければならない。また、遺体は貨物として運ばれるため、当然ながら相応の手続きも必要だ。プロフェッショナルでなければ、動揺し、憔悴する遺族だけでは、現実的には不可能だ。
それだけではない。時間というもう1つのファクターが、現実をより過酷なものとする。遺体は時を刻む。そう、時を経るごとに遺体は腐敗するのだ。これを防ぐために、エンバーミング(防腐処理)を施す必要があるのだが、国際霊柩送還の場合、現地でのエンバーミングが杜撰なこともある。時に彼らは、日本に届いた遺体の惨状を前に怒りを覚えながら、必死で腐蝕の進む遺体と対峙する。
時間が蝕むのは、遺体だけではない。遺体と向き合うことさえできず、ただ待ち続けなければならない遺族の心も、時間の経過とともに苦しみを溜め込んでいく。状況次第では、身体の疲労も深刻だ。おそらくは一睡もできず、まさに身を削って待っている遺族。彼らはそのことを心底分かっている。だからこそ、一刻も早く遺体を遺族のもとへ届けたい。国際霊柩送還とは、常に時間との勝負だ。
でも一方で、エアハースは本当に心を込めて、遺体に時間をかけて向き合っていく。
彼らのもう1つのミッション。それは遺体を出来る限り、生前の表情に戻してあげることだ。傷があれば隠し、顔色や唇の赤みを化粧で整えて、身体を綺麗に拭いて。全てを丁寧に、時間をかけて、心を尽くして。遺族が悲しい再会を果たす時に、生前のその人をきちんと思い起こせるように。きちんと、悲しめるように。その瞬間が、本当の意味で「最後の再会」になるように。そこには、彼らが何よりも大切にしている思いが詰まっている。
エアハースはそこまで全身全霊を捧げて、国際霊柩送還の現場に立っている。
それでも、いや、それだからこそ、彼らは忘れ去られていくのだ。
社長の木村理恵は、いつか言ったそうだ。
「私の顔を見ると悲しかった時のことを思い出しちゃうじゃん。だから忘れてもらったほうがいいんだよ」
人間の死に、誰よりも深く関わってきた人だからこそ、そこまで悟れるのかもしれない。
切なくて、胸に迫る思いが止まらないけれど、自分達は「忘れ去られるべき人」なのだと。
そういう諸々を経て、遺体は遺族のもとへと運ばれていくのだ。
海の向こうから。あるいは、海の向こうへ。
本書を読み終えてみて、今、私は思う。本当にエアハースのことを忘れずにいなければならないのは、本質的に、常に死と隣り合わせの現在を生きている私たちなのかもしれないと。
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この本を思い出さない訳にはいかない。忘れられない大切な1冊だ。東日本大震災で命を失った方々のおもかげを復元していった笹原留似子さん。彼女が向き合ってきた物語はとても切ないけれど、読み終えた時にはきっと、心のどこかを綺麗に洗い流してくれるはずだ。ただし、まちがっても電車で読んではいけない。目蓋を湿らせてもいい場所で。東えりかがレビューしている。
本書と出会った頃は、まだHONZに加入していなかった。東えりかのレビューを読んで、書店に向かったことを今でも覚えている。大切な人との死別というのは、本当に辛いことなのだと思う。きちんと忘れることができたなら、どれだけ楽だろうか。涙が止まらない珠玉の1冊だ。