著者は44歳の男性、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、アカデミー賞受賞を夢見つつ、本書を書いた。まずは帯をそのまま引用しよう。
「小学生の頃から勉強一筋。なのに高校をビリで卒業し、共通一次試験は150点。全国模試を受ければブービー賞。要するに子どもの頃からまったくイケてないぼくが、「扉を叩き続けて」四浪で京大に合格。電通に就職したものの、地下鉄サリン事件に巻き込まれて退社。それでも人生投げることなくMBAをゲットし、さらには夢のアカデミー賞でレッドカーペットの上を歩いてしまった!」
というのだが、じっさいにはもっと著者の人生は数奇な事件に彩られている。最初に入学した滋賀大学では、まるで著者の身代わりのようにして交通事故で人が亡くなっている。京大でも、ほぼ同じ場所で事故に遭い命拾いをする。そして、地下鉄サリン事件の被害者であるにも関わらず、オウム真理教の側にいた女性と結婚してしまう。
ひとことで言って、現代の奇譚なのだ。妙な運命論に囚われることもなく「叩き続ければ、扉はかならず開くはずだから-。」で締めくくられる本書は、前向きに生きるための格好のテキストになっている。
しかし、ボクの頭の中でかすかにサイレンがなっているのだ。けっして書かれている内容を疑っているのではない。むしろ、すべてが本当に起こったことであり、著者の反応が至極まともであるからなのだ。もしかすると、途中にでてくるユングの「シンクロニシティ」に反応したのかもしれない。著者は「シンクロニシティ」について「『偶然の一致』に思えることが、ある普遍的な力によって発生しているという」と説明する。
とはいえ本書の登場する人々の言葉が印象的だ。いくつか挙げておこう。
中学のときに著者が入った塾の塾長の言葉「人生は甘い、何度でもやり直しがきく」
著者の人生に影響を与えたユダヤ教のラビの言葉「どんなことでも、何かを追求することはリスクを伴なう。やりたかったらやってみるしかないんだよ」
国際的なダイヤ商である著者の伯父の言葉「もうすぐ30歳になろうという青年がそんなところで時間を無駄にしてもいいのか。もっと何か具体的な技術を身につけろ」
再びラビの言葉「本当の友人は人生で2,3人だ」
そして本人の言葉「叩き続けた扉は一瞬しか開かない」