今年がパリ大水害から100年目だということをはじめて知った。あの美しいセーヌ川が氾濫していたなどとは、にわかに想像しがたい。本書はその様子を細大漏らさず、科学的なデータも駆使し、当時の写真や図版も豊富に使い、しかもパリの魅力たっぷりに紹介した本である。
著者はまずパリの地質から説明を試みる。沖積層や第三紀石灰岩層などに分けられた地質地図が提示される。ここでは地学の本のようだ。つぎに都市の洪水について説明が加えられる。たとえば橋をつくると有効な川幅は狭くなるので水位はあがる。また橋脚による抵抗があるため、川上側の水位が高くなるなど、まるで河川工学の基礎である。
当然、紀元前から大洪水までのパリジャンヌとセーヌ川の歴史を振り返るのを忘れない。すなわち第4章はパリの洪水史だ。歴史上頻繁に発生する洪水と治水工事、それにともなう島の統合などだ。そしていよいよ1910年1月、パリがセーヌに沈んだ日がやってくる。じつは当時のパリは広域で圧縮空気が作られ、5800もの街頭時計やエレベーター、カプセル電報などを動かしていたという。
その世界最先端のインフラを持つ街がいよいよ沈むのだ。すでに前兆は前年からあった。セーヌ川上流では雨水が地面に浸みこまなくなってきた。新年1月初旬のヨーロッパは荒天に見舞われた。ついに1月19日セーヌ川の支流が氾濫を起こし始めた。1月20日セーヌ川での船の航行が禁止された。
100年前のことだから許してもらおう。なんだかわくわくしてくるではないか。
以下は本書において、すべて鮮明な写真付きで描かれているパリ大洪水のエピソードだ。
21日にはサンジェルマン大通りが陥没する。22日には上流から流されてきたワインを人々が引き挙げている。23日には動物園の白クマが水没しそうになり、橋の上の人に助けを求める。
24日、インフラを停止したため、ゴミの不法投棄があり、それを架橋歩兵が水の中に押し込む。
25日、モンテーニュ通りが湖を化し、オルセー駅も1メートルの水没。
28日、山高帽をかぶった議員たちがカヌーで議場に向かう。洪水の見物客たちも山高帽をかぶっていてイキなのだ。
本書がなによりもステキなのは、このパリ大洪水から日本人は何を学ぶべきかなどという、安っぽい考察を一切していないことだ。
現在のパリの備えについて数ページは割いてあるが、それは本筋ではない。ルーブル美術館の対応など、かならずや読者が疑問をもつことにあらかじめ答えたにすぎない。
本としての完成度が高くお買い得だ。それにしてもパリは鹿島茂や著者のような達者な書き手を持って幸せな街だ。久しぶりにのぞきに行ってみるか。
プレジデント3月15日号「本の時間」書評