私には西洋美術の素養がまったくない。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、マネ、モネ、ルノワール、シャガール、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ……。どれも名前くらいは聞いたことがあるが、彼らの代表作は?と聞かれて即答できるものはほとんどない。さすがにダ・ヴィンチのモナリザくらいは知っているが、ルノワールっていいよね。と言われたら、あぁ、あの喫茶店いいね。といってしまいかねない。それくらいの美術オンチなのである。
とはいっても、アートが嫌いなわけではないのだ。アンディ・ウォーホールのシルクスクリーン(ポップアート)や、バンクシーのステンシルアート、KAWSや奈良美智さんのイラスト、エッシャーのだまし絵など、現代美術やグラフィティといったものには興味があり、ダミアン・ハーストの個展やエッシャーの個展を見にいったり、横浜トリエンナーレにも足を運んでいる。(これはなんのアピールだ?)
ただ西洋美術の個展というものにはいったことがほとんどない。西洋美術に関しては正直よくわからないといった印象が強いのだ。モナリザのよさもよくわからない。このままではいけないと思いたち書店の芸術コーナーに足を運んだ。そこで目を引いたのがこの本である。 巨匠60人のメメント・モリ(死を想え!)という帯に惹かれてつい手にとってしまった。なぜ西洋美術を学ぼうとして、この本を手にとるのだ!という感じがしなくもないが、惹かれてしまったのだから仕方がない。
この本は作家がいかに生き、どう死んでいったのかを書いたエピソードと、その作家の描いた作品がひとつ紹介されているといった構成になっている。紹介されている作品の中には美術の教科書で目にしたことのあるような有名なものもいくつかはあるが、ほとんどが初めて目にしたものだったので新鮮だった。
著者は学生時代に講師から「芸術は長く、人生は短い」という言葉の意味を聞かれ、「人の人生ははかなく短いが、芸術は後世まで残る」と答えて失笑を買ったという。これに対する恨み節?からこの本は始まる。 この言葉の意味は「(芸)術をなすには、人生は短すぎる」ということだと講師からは教えられたそうだ。著者はこれに疑問を抱く。「術(アルス)をなすには、人生は短すぎる」といったときのアルスには技術という意味もふくまれている。「技術は人の生を越えて、後々まで残る」というと、どうしても違和感があるのだ。なぜなら技術というものは常に革新(更新)されていくものだからだ。
また現代人にとっては、サンプリングやリミックスが当たり前になっているので、アートを成すのに人生が短いとは考えづらい。ルネサンスの時代にはそういった生を飛び越えるような「天才」が実際に求められていたが、現代人にとってこの言葉は言いわけにすぎないという。
また著者は現代にはびこっている「作品中心主義」というものにも疑問を呈す。作者がどのような状態のときに描かれたものなのか?といった背景を一切問わず、作品だけが語るものを鑑賞するという態度が「作品中心主義」である。その一方でゴッホやゴーギャン、レンブラントといった一部の画家については、その悲惨な背景が喧伝されて、それが絵の評価にもつながっている。
これでは不公平だということで、作品中心主義ではない、新しい視点で作品を鑑賞する方法として、作家の人生の、特に死の部分にフォーカスして絵画を鑑賞するという試みがこの本では行われている。
作家にもいろんなタイプがいる。生前には評価されることがなく、困窮の末に死んでいった者や、若くして成功したが夭折してしまった作家。高い評価を受け、晩年まで意欲的に作品を作り続け天寿を全うした作家など、作家一人一人の生き様と死に様を知ることにより、絵を見たときに今までとは異なる印象を受けるようになるかもしれない。また作家のドラマチックな生き様や死に様には心が動かされることうけあいである。
なかでも一番印象的だったのは、私が喫茶店だと認識していたルノワールである。彼は49歳の時に18歳年下(!)の恋人と結婚。53歳の時に子供が生まれ、人気作家として活躍。経済的にも豊かで幸せな生活を送っていた。60代でリウマチに罹患し、筆を握ることが困難になるも絵を描き続ける。74歳のときには最愛の妻を失うが、その後も命の火がつきるまで絵筆をはなさなかったという。
そんなルノワールの最期の話がとても素敵だ。1919年12月3日、アネモネの花を水彩で描いたときに「やっと何かがわかりかけてきたように思うよ。」という言葉を残し、その夜に78歳の生涯を閉じたという。一生を絵画に捧げてきた人が、死の直前に「やっと何かがわかりかけてきたように思うよ。」という。この謙虚さにはなんだかぐっとくるものがある。これを読んでルノワールのことをもっと知りたくなったことは言うまでもない。
この逸話と共に紹介されているルノワールの『自画』がまた素晴らしい。まさに好々爺という言葉がピッタリのとても素晴らしい絵だと思う。なんだかみているだけで、絵を描ける喜びが伝わってくる気がする素敵な作品である。
(「Wikimedia Commons Image Database」 より)
死の直前まで自分の好きなことをやり続けられるというのはとても幸せなことだと思う。自分もそうありたい。いまはHONZで本を紹介することが自分のライフワークである。死ぬ前にはレビューについて「やっと何かがわかりかけてきたように思うよ」といえるようになりたいものだ。
書店で『芸術家たちの臨終図鑑』の横にこの2冊が並んでいた。こちらも西洋美術をいままでと違った視点で楽しめそうなので、ぜひ読んでみたいと思っている。美しいは正義!