福田和也が雑誌『ダ・ヴィンチ』に連載していた「ろくでなしの歌」を収録したものだ。昨日のブログで紹介した『アスペルガー症候群』では、取っつきにくいがオタク的な才能があるという、いわば理系な変人が紹介されているのだが、この本は「ろくでなし」の小説家ばかりを取り扱っている。彼らは普通に考えると変質者だ。知り合いにも隣人にもなりたくない。
たとえば永井荷風について最初の1行は「吝嗇、好色、不人情にして狷介、しかも不誠実」だ。荷風は莫大な印税を得て待合(連れ込み宿のようなもの)を経営し、各寝室の壁に覗き穴を作り覗いていた。好色についてさらにとんでもないエピソードが紹介されているが、ブログでは紹介しにくい。
志賀直哉について「もしも、衝動に身を任せながら、しかもまったく反省しない、後悔しない人間がいるとすれば、それは天性の犯罪者だると考えるべきだろうか。むしろそれは犯罪の名には値しない、意志と判断が一致した完全な人間であるか獣だろう。志賀直哉は、そのような人物、というより怪物だった」とする。通り魔に近いものがある。
「生死の境を気にもしない小説家」と描かれているのは川端康成だ。「だが、彼の超越は仏としての悟りではなく、あらゆるけじめを無頓着に通り抜けて、妄執をとことん追い詰めていく魔界の人のあり方以外の何物でもない」それにつづくエピソードがひどい。たしかに常人ではない。
小説についての著者の寸評も面白い。『罪と罰』について「深刻にならずに、ユーモアを楽しんで大笑いしながら読んでください。作者の本当の凄さが分かります」。川端康成の『再婚者』については「人間に個性や区別などあるのか、と問う邪悪きわまりない短編集」などだ。
とはいえ、本書は結局のところ、その奇人たちが書いたのは本物の傑作名作であり、読む価値があるとするものだ。ボクにとってはどんな読書案内にもまさる本になった。この歳になってやっとゲーテやディケンズなどを読んでみようという気になったのだ。
ところで著者は『昭和天皇』をライフワークにしている。すでに3冊目が出版されているが、まだまだ「文藝春秋」で連載中である。今月号は2.26事件。やっと昭和11年まできたところだ。あと53年分も残っている。じつはこれがとんでもなく面白いのだ。信じがたいディテールを短い文章でつなぎ合わせて、昭和史をたくみにコラージュしながら、ぐんぐん前へと時代は進む。
たとえば、2.26事件の次の日に帰宅を許された入江相政侍従は、7時のニュースで岡田総理の死亡を聞きながら、「牛鍋」を食べて子供たちと入浴してぐっすり寝たというのだ。一方、クーデター側の野中部隊では26日「鶏肉の入ったおむすび」が届いていた。27日には親子丼が届いたが一つしかなかった。名栗之助という前座名を持っていた小林という兵隊が落語をやらされている。このようなディテールがときに背景になり、あるいは前景になりながら、野太く天皇を中心に据えて昭和史をビジュアル化している。本書については別に紹介文を書いてみたいものだ。