鹿島出版会は鹿島建設の関係会社だが、じつは非常に興味深い本を出版していることで好事家には知られていると思う。あえて好事家と書いたのは、書店では建築関係のコーナーに置かれていることが多いために、建築関係者以外の目に留まりにくいのだ。土木建築コーナーまでパトロールしにいく本好きはかなりの数寄者であろう。
本書以外にもこの6月に『水の匠・水の司』「米将軍徳川吉宗の厳命を受け、還暦を過ぎて幕臣となった井澤弥惣兵衛は、全国各地で新田開発・河川改修などを手掛けた。紀州流による驚異的な実績は、2世紀半が過ぎた今日でも多くの国民の生活を支えている。」なんて本も出している。まだ読んでいない。
さて、本書の著者は工学部環境建築学の教授である。歴史家の視点とは全くことなるところから古代ローマを見ることができる。まずは古代ローマの水道を概観しておこう。ローマ人は紀元前312年に最初のアッピア水道を建設した。西暦476年に滅亡するまでに11本、総延長500kmの水道を作っている。
本書を読んでまず驚いたのはその水質管理システムである。現代の「ダムと取水塔」と同じシステムが使われていたというのだ。水路の中間に設置してある水質管理装置もすごい。知られざるローマが見えてくる。さすがに工学者による本だけあって、構造の説明もきちんとしている。
本書ではそれぞれの水道について、長さや構造だけでなく水質や水源、給水対象についてまで言及する。これが面白い。たとえばマルキア水道はカルタゴ壊滅後に、ローマの人口が9万人から38万人に一気に増えたために建設された水道だという。一日に総水量は18.8万立方メートル、全長91.3km、地中部80.3km、橋梁部10.3kmだという。このようなディテールにこそ神が宿るのだと思う。ところで、この水道は1870年にはローマ法王ピオ9世によって復興され、いまでも供用されているのだという。
ローマはテヴェレ川沿いの都市である。その水に恵まれた都市が、これほどまでの水道を必要としたのは給水と排水を分けたからである。イタリア語で男子トイレは「Vespasiano」だ。9代皇帝ウェスパシアヌスの名前そのものである。この皇帝がなにをしたかは本書を読んでほしい。
引用も工学からだけでなく、人文からもあり多彩だ。ルソーがフランスにある大水道橋ポン・デュ・カールを見た感想なども引用されていて、知的にカラフルな本だ。もちろん専門分野では、大規模施設の建築技術なども手際よくまとめられているし、ふんだんに要領よく図版が使われている。
本書に不満があるとしたら、江戸という都市と古代ローマ市を2項対立で比較することだ。時空も環境も違いすぎて、比較する意味はほとんどないと思うのだが、ページをめくるごとに日本人はたいしたことない民族だという結論に至ってしまう。事実はちがう。ローマ人は人類史のなかでも突出して偉大な人々だったということだ。比較文化論的な考察をするのであれば、すくなくとも古代ローマ、中世ヨーロッパ、近世日本、現代中国の水道システムの比較が必要であろう。