本書が発表されたのは、ソ連が人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した1957年だ。この年、レーザーが発明され、IBMは科学技術用のフォートランを発売した。アメリカで日本からの輸入車第1号であるクラウンが発売された年でもある。
全世界が第2次世界大戦のダメージから回復しただけでなく、はからずも戦争によって進歩した科学技術の果実を受けとりはじめたのだ。人類に夏がやってきたのである。
著者のハインラインは本書で、この時代の雰囲気をタイムトラベルという手法を使って描写した。物語の舞台は1970年という未来に設定され、主人公はさらにその30年後へと時間旅行をする。そして未来は過去よりもよいものだと語るのだ。
当時でも、この楽観論は受け入れやすいものではなかったはずだ。冷戦下で各国は原水爆実験を繰り返し、キューバ革命が進行していた時期でもあるからだ。
そこでハインラインは、「家じゅうのドアを開けてみれば、そのなかのどれかひとつは必ず“夏への扉”なのだという信念をぜったいに曲げようとしない」猫のピートを主人公の横に座らせる。つまり、未来に対する楽観は、生き物のもつ本能なのだと暗に語ることで本書を終えるのだ。
本書は『アルジャーノンに花束を』を翻訳した小尾芙佐氏による新訳である。柔らかな文章はこの小説のもつ雰囲気にぴったりだ。新装の表紙もすばらしく、翻訳文とあいまって、本書のもつ紗がかかったような青い初夏の空というイメージをふくらませてくれる。
ところで、ハインラインはその作品をもって毀誉褒貶のある作家だ。ある時は右翼とよばれ、つぎに左翼化したといわれ、さらには危険な新興宗教に影響を与えたとも言われた。晩年の『悪徳なんか怖くない』にいたっては、本人のエロティックな妄想を小説にしただけだと言われた。そのなかで本書はハインラインの最高傑作である。
本書の主人公は新しいビジネスパートナーと組むにあたり「畜生、何度火傷しようと、ひとを信用しなければならないときがあるのだ」と心のなかで叫ぶ。戦争経験のあるハインラインはリスクをとることの重要性を体感しているのだ。この傾向だけは作品のなかで終生変わらなかった。