大人になってゆったりと夏休みを過ごすようになり、クラシックホテルを利用することが多くなった。箱根富士屋ホテル、軽井沢万平ホテル、日光金谷ホテル、伊豆川奈ホテルなどがそれだ。落ち着いた建物や心地よいサービスを楽しみに行くだけではない。過去にここで時間を過ごしたであろう人々とその時代を想像して楽しむことができるのだ。
そのようなクラシックホテルのサンルームやティールームにパソコンを持っていくなどという無粋はしない。もっぱら本書など、ゆっくり楽しめる本を持っていくのだ。本書はそのクラシックホテルを舞台にした戦争前後のノンフィクションである。
まず第一章で著者は、開戦直前の箱根富士屋ホテルで日米の秘密交渉が行われていたことをつきとめる。当時の富士屋ホテルの経営者は山口正造、日光金谷ホテルの金谷眞一とは実の兄弟だ。その正造の利用客の秘密をまもり、最大の便宜をはかるという、ホテルマンとしての信条をつらぬく姿が眩しい。
第二章は戦中の箱根の風景である。そこは枢軸国のドイツ人やイタリア人だけでなく、フランス人教師やバチカン関係者なども住むインターナショナル・ゾーンだったのだ。箱根には空襲はこないといわれた理由だった。
第三章は終戦前夜の強羅ホテルでの広田弘毅による日ソ交渉と、フィリピンの元大統領ラウエル一家の奈良ホテルへの逃避行が描かれている。このとき同行した元大統領の息子はやがて副大統領としてアキノ政権を支えることになる。
第四章と第五章で本書は終戦を迎える。もちろんマッカーサーが登場し、進駐軍が接収したホテルの様子が描かれるのだが、より興味深いのはヤマトホテルのエピソードだ。ヤマトホテルとは満鉄が経営していたホテルグループのことだ。日本は大陸に進出するにあたり、西洋文化の象徴であるホテルを設置したのだ。いわゆる植民地ホテルである。ホテルは統治国の国力や威厳を示す記号的な意味をもつと著者はいう。
いっぽう国内では昭和5年に国際観光局が設置され、15件のホテルに特別融資が行われた。大陸侵略をカモフラージュするために、日本の国際化を演出したのだ。現在、クラシックホテルと呼ばれているホテルはこのときに生まれているという。
本書は戦争前後という変化の激しい時期を、駆け抜けるようにあつかっているのだが、意外にも筆はゆったりと進む。多数の引用はあるものの、薀蓄を語るのではなく、複眼的に史実を見つめているようだ。
その意味で本書は歴史ノンフィクションではない。強いて分類するならばホテルノンフィクションだ。著者のホテルへの愛情こそがテーマなのかもしれない。
ちなみに著者の曽祖父は富士屋ホテル創業者の山口仙之助だ。富士屋ホテルは正造亡きあと、1966年に小佐野賢治が率いる国際興業に買収された。