http://d.hatena.ne.jp/founder/20090612/1244765615
『日本の殺人』の書評でとりあげたように、日本における実質的な殺人数は年間700件程度だという。統計上は1400件なのだが、これには死亡者がでていない殺人未遂と殺人予備が含まれている。なぜか統計上では強盗致死は殺人には含まれていないので、これを加えると死亡者がいる「殺人」は700件ということになる。ちなみに、この700件の半数は親族による犯行だ。平均寿命は約82年だから、仮に殺人件数が700件で82年間一定だとすると、1人の日本人が殺される確率は0.05%となる。
いっぽうで、1人の日本人が一生のうちに裁判員に選ばれる確率は67分の1だという。つまり1.5%だ。裁判員は6人だから殺人事件に遭遇する確率は0.05%X6で0.3%になるはずだが、その5倍の確率で裁判員になってしまう。裁判員裁判相当の事件は殺人罪だけでなく、外患誘致罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、強姦致死罪、危険運転致死罪、保護責任者遺棄致死も含まれるためであろう。
ともあれ本書は、その殺人事件裁判のなかでも死刑になった21のケースについてのレポートだ。じつはオウム真理教事件についての裁判に多くのページが費やされている。それ以外は光市事件、池袋通り魔事件。畠山鈴香事件など、ある意味で有名事件である。それぞれの事件についての裁判はいままで報道されたり、本として出版されているものの要約のような感じであり、特に新規性はないのだが、本書を通して俯瞰してみると感じ入るところがある。とりわけ遺族の被害感情とその表出の具合によって裁判員なき法廷でも揺れることがあるのだと感心した。
ある事件で弁護人が被害者の母親に対して「あなたは、いま、被告人への死刑を望んだ。そういいましたね。死刑になったら、被告人の親も悲しむ。それは仕方がないことなのですか!」と詰め寄った。母親は落ち着いて。「私の娘がそういうことをしたら、死刑になるべきだと思います」と切替したというのである。「わが子にも厳格な被害者」と「わが子には甘い弁護士」では勝負にならない。これからの被告は慎重に弁護士を選ばないと、まさに自殺行為ということになりそうだ。
光市事件の弁護団について著者は「忌憚のないところをいえば、この弁護士たちが少年を殺したに等しいと思っており、”人権派”に名を借りた”死に神”と呼びたくなる」といっている。まさにその通りだ。裁判員裁判においてはこのイデオロギー弁護vs被害者感情は、ますます後者に対して有利に働くことになるであろう。
もう一つ本書で気にかかったのは最終章でちょこっと扱われているSSRIという薬だ。日本での服用者は100万人を越えているのだという。じつはまったく知らなかった。一種の抗うつ剤である。ところが、殺人で死刑になった全日空機ハイジャック事件の犯人も、池田小事件の宅間守も、ボウリングフォーコロンバインの主犯も服用していたというのである。日本で100万人も飲んでいてこの確率だから、この薬を販売停止にするべきだというつもりは毛頭ない。逆に犯罪を抑止しているケースもあるだろう。それにしても、まったく知らなかったということが恐ろしい。