1891年5月11日、2週間前に長崎港から来日したロシア皇太子のニコライは、鹿児島、神戸、京都を経て大津にやって来た。昼食をすませた彼は心地よく人力車に揺られながら、今夜の芸妓との楽しい時間に想いをめぐらしていた。少しずつ、だが確実に、死の危険に近づいていることも知らずに。
異国の皇太子目当てに詰めかけた人の群れの中に、鬼の形相でニコライを睨みつける男がいた。その男とは、滋賀県巡査の津田三蔵。ニコライを警備するために大津まで来ていた津田は、職務のことなど完全に忘れていた。このときの津田は、怒りと妄想に支配されていたからだ。もはや正気とは呼べない津田の脳内を、危険な言葉が駆け巡る。
「なぜニコライは真っ先に天皇陛下にご挨拶へ行かないのか?あまりに無礼だ!」
「これは親善目的の来日ではなく、日本侵略のための偵察なのではないか?」
手の届く距離にまでニコライが近づいたとき、彼は腰のサーベルを抜き、ニコライの頭部を斬りつけた。呆気に取られる聴衆を沈黙が包み込む。静寂を切り裂くニコライの奇声で異変に気が付いた車夫が、素早く津田を取り押さえ込んだ。鮮血にまみれたニコライは、懸命の治療により一命を取り留めた。しかし、本当に厄介な事態は津田逮捕の後に待ち受けていた。
この事件は日本中をパニックに陥れる。超大国ロシアがその軍事力で復讐にやってくれば日本などひとたまりもない、と国全体が感じていたからだ。全国的に祭りごとが中止され、ロシアへの謝意を示した遺書を残して自殺する者まで現れた。大政奉還から24年、明治憲法施行からわずか半年という、近代国家としての歩みを始めたばかりの日本にとって、当時のロシアはあまりにも大きかった。
国家の命運の鍵を握る津田への処遇は、たちまちに国家の最重要事項となった。早急に津田の首をロシアに差し出したいと願う政府の思惑とは裏腹に、当時の刑法では殺人未遂への最高刑は無期懲役であった。そこで政府首脳たちは、刑法第116条「皇室に対する罪」に狙いをつけた。この116条には、「天皇三后(太皇太后、皇太后、皇后)皇太子に対し危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処す」とあり、津田を死刑にできる可能性があったからだ。
もちろん外国皇族へ116条を適用するのは法の拡張解釈だが、津田を死刑にするためにはこの法に頼るしかなかった。また、皇室に対する罪は大審院(現在の最高裁判所にあたる)に属する犯罪であったため、その裁判は一審が最終審となり、刑の執行までの時間を短縮できる。
そんな政府の前に1人の男が立ちはだかる。大審院長の児島惟謙である。彼は首相官邸を訪れ、この事件への116条の拡張的適用は法律の精神に反するものであり断じて応じることはできない、と首相に直言した。しかし、ロシアを恐れる当時の内閣総理大臣松方正義はこう応えた。
国家あっての法律です。国家がなくなってしまえば法律もなくなる。
国家存亡の危機を前にした政府は、三権分立、司法権の独立をかなぐり捨てようとしていた。
児島はあくまで法律家として事件へ取り組み続ける。そして、欧米諸国には他国の皇族に対する犯罪への特例などないことを明らかにし、改めて116条適用は間違いであると確信した。これは、視野狭窄な机上の法律論のみから導かれた結論ではない。この事件に特例を適用すれば諸外国からの侮蔑を受け、これまで以上に不平等条約を押し付けられる、と児島は危惧していたのだ。この法律家は、一国の首相よりも広い視点からこの国の未来を見据えていた。児島はこの信念を胸に、徹底的に闘った。
現在大津事件と呼ばれるこの事件の結末は、日本が近代的立憲主義の国であることを諸外国にアピールし、不平等条約改正の契機となるものとなった。しかし、この判決を得るまでに児島が取った強引ともいえる手法に対する評価は、今でも議論が分かれるところである。万人にとっての絶対的正義など存在せず、法律をつくるのも運用するのも人間であることが痛感させられる。
本書には、非公開審理によって幸徳秋水ら11人が死刑となった大逆事件や今でも死刑の基準となっている「永山基準」を生み出した裁判など、日本裁判史に重大な影響を与えた12の事件がつづられている。
本書からは、日本人の離婚に対する考え方の変遷、残虐な殺人に対するメディアや国民の反応までもが読み取れ、「裁判を通して振り返る日本の近現代史」としても楽しめる。2010年に発売された単行本の文庫版であるが、今後もその内容が色褪せることはないだろう。
また、書名に「ものがたり」とあるように、本書は無味乾燥な法律の解説書ではない。推理小説作家である著者の手によって、法律の下に正義を追求しようとする裁判官の、冤罪で苦しむ被告を守ろうとする弁護士の、そして、思いもよらず被告や被害者となってしまった人々の闘う姿が、迫力あるドラマのように描き出されている。
大津事件から始まる本書の120年間のものがたりに触れれば、現在の裁判システムが突然何者かに与えられたものではなく、先人達が必死で勝ち取ってきたものであることが思い知らされる。当然、現在のシステムは完璧なものとは程遠い。密室で行われる取調べ、異常とも言える高水準の刑事裁判有罪率、長期化する裁判期間。その瑕疵を挙げればきりがない。
それでも、チャタレイ裁判を闘った人々のおかげで表現の自由の範囲は広がった、性的虐待に耐えかねて実父を殺害した女性の悲劇を経て尊属殺の規定は削除された、そして、最愛の妻を殺されても前を向き続けた岡村弁護士のおかげで被害者の立場は劇的に改善された。
英首相ウィンストン・チャーチルの言葉を思い出す。
民主主義は最悪の政治形態だ。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば
現在の裁判を取り巻く環境は、これまでに試みられてきたものより良いものであると言えるだろうか。より良い裁判を望むのなら、声を上げ、求め続けなければならない。2009年5月からの裁判員制度導入によって、わたしたち一人ひとりにもその任が託されている。これは、今の日本をつくりあげた「ものがたり」だ。
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『マネーロンダリング』でデビューした経済小説家である著者の新作のテーマは、なんと民事裁判。著者の知人のオーストラリア人が巻き込まれた保険会社とのトラブルに、著者自身も巻き込まれていく。気がつけば代理人として裁判所へ出向くことになった著者を待ち受けていたのは、何とも理不尽な裁判システムである。民事訴訟にまつわる基礎知識を紹介しながらも、体験ルポものとしてさくさくと読める。一般市民にとって、現在のシステムのどこに問題があるかが理解できる。
本書の最終章「被害者の求刑」にも登場する、光市母子殺害事件の全貌とその遺族である本村氏の闘いを追ったノンフィクション。この本を読むと、本当に心が揺れる。人はどうすればここまで強くなれるのか、毅然とできるのか、自分だったらどうするのか。感情が洪水のように溢れ出る。こちらも文庫版が出て入手し易くなった。
こちらは被害者でなく加害者の手による一冊。飛びぬけて高いIQを持ち、月に数百冊の本を読み、事業でも大成功を収めていた著者は、計画通りに自らの意思で2人の命を奪った。獄中からもの凄いスピードで著作を生み出し続ける著者のデビュー作。著者が殺人に至るまで、そして刑務所の中の現実が垣間見える。
成毛眞のレビューはこちら。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012042693SC000/
ETV特集 「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実」
本書の中でも特に印象的な永山則夫の精神鑑定を巡るNHKのドキュメンタリー。上記のリンク先で10月28日までは210円で視聴できるようである。本書で事件のあらましを把握してから見ると、よりその内容が把握しやすい。