医療ミステリー作家・久坂部羊の本はすべて読んでいる。熱烈なファンなのである。かというと、そいういう訳でもない。久坂部羊こと久家義之クンは、阪大医学部時代の同級生であり、いまでもしょっちゅう飲みに行く友人である。出版のたびに恵送してくれるので、礼儀正しい私としては、ついすべて読んでしまっているだけのことである。
しかし、久坂部羊の本がたくさん売れたところで、私にはなんの得にもなりません。友人だからという理由で、この本をお薦めするわけではありません、ということを、COI(=conflict of interest、利益相反)事項とし、まず宣言しておきます。
あとがきにあるように、この本は、久坂部羊が、発行部数50万部突破とかいう大ベストセラー『大往生したけりゃ医療とかかわるな』のおこぼれをちょうだいしようと、著者の中村仁一医師にもちかけた対談の記録である。さすが、ほとんど勉強をせずに、優秀な同級生にたよって卒業しただけのことはある。30年たっても久家義之はかわってない。
最近の世の中、ひょっとしたら「思い通りに生きる」より「思い通りに死ぬ」ことの方が難しいのかもしれない。そんな風潮に棹さすこの本のコンセプトはきわめてシンプル。ヒトは年をとったら老いていきますよ、そして死にますよ。医者にかかってもろくなことはないのだから、いらんことせんと、ムダな抵抗はやめて、自然に受け入れたらええやないですか、ということにつきるのである。
これまでも一貫して、久坂部羊は、「長生きしてもろくなことがない」というテーゼを説き続けている。もちろん、この本でも、多くの経験に裏付けられたその考えの正しさを訴えている。セミナーなどでも、老人を相手にその考えを述べるというので、怒り出すお年寄りがいるのではないか、と聞いたことがある。しかし、久坂部の答えはノーであった。
タイトルとかレジュメとかを見ると、そのような内容で話すことが前もってわかる。だから、聞きに行こうかという段階で大きなバイアスがかかっていて、わざわざ怒りに来る人などいない、ということであった。言われてみれば、そらそうである。この本も、そしておそらく中村仁一医師のベストセラーにも、同じことがいえるだろう。
なんとなくそうじゃないかなぁと思っている人が購入して、やっぱりそうかと自分の考えを補強する、というのが大多数であろう。しかし、そうではなくて、こういう考えがきらいな人にこそ、この本を読んでほしい。そうすると、久坂部羊に印税がたくさんはいるから、という友情あふれる営業上の理由ではなくて、この本の考え方はかなり正しそうだから、という理性上の理由からである。
半年ほど前、久家義之から、人間ドックに行ってますか、癌検診をうけてますか、という質問が、同級生メーリングリストを通じて送られてきた。この本にその結果は紹介されているが、予想通り、大半はうけていないのである。そのアンケート結果が物語るように、同窓会などで話をしても、多くの同級生医師たちはは、この本に近い考えを持っている。
そんなダブルスタンダードはけしからん、という人もいるかもしれない。しかし、医療の現場で活躍している者たちは、そういう感覚を持っているのだからしかたがない。人生50年時代に作り上げられた医療のビジネスモデルを、平均寿命80歳を超える時代になっても通用させようとすることに無理がある。医療者は現場でそれを感じているが、その意識が一般の人にまで伝わっていないということなのだろう。
この対談でも出てくるが、久坂部羊の主張の一つに「スーパー老人は一般老人の敵である」というのがある。(ふだんと違って、スーパー老人の実名をあげていないのがちょっと残念。でも、久家君、大人になったやないの。)なんらかの理由で特殊に健康に恵まれた老人がテレビに出たりすると、一般老人は、家族に「あの人、おじいちゃんよりお年やのに、あんなに元気よ。おじいちゃんも、がんばらなあかんやないの。」とか言われて、むしろ元気がなくなってしまうというのである。光景が目に浮かぶようではないか。
こんな感じのトピックスが次から次へと繰り広げられる、副題に「明るく楽しくメメントモリ(死を思え)」とでもつけたくなる、なんとも笑える対談である。さすがにちょっと極論やろうとつっこみを入れたくなるところもないではないが、たくさんの人がこの本を読んで、老後と死についての考えを少しでも軌道修正してくれたら、わが国の超高齢社会のあり方が変わっていくに違いない。
追記:ここに書いた考えは、仲野徹個人の考えであって、大阪大学医学部を代表するものではありません。って、書かなくともわかるとはおもうけど、一応COIということで。