保衛員が数人がかりで中年女性を絞首台に引きずり出し、青年を柱に縛りつけた。それは彼の母親と一人っきりの兄だった。保衛員が母の首に回した縄の輪をきつく締める。母は彼の目をとらえようとしていた。だが、彼は視線をそらした。それどころか、悶え苦しむ母を見ながら、死んで当然と考えていたのだ……
彼の名前はシン・ドンヒョク。北朝鮮の政治犯収容所で生まれながら、脱走を果たした唯一の人物である。しかも彼がいたのは、ただの収容所ではない。単に「収容所」の三文字で形容するには、あまりにも壮絶な場所であったのだ。
北朝鮮には大きく分けて二つのタイプの政治犯収容所がある。ひとつは再教育が目的で出所可能な「革命化区域」、もうひとつは仮釈放など一切ない「完全統制区域」。シンがいたのは、過酷な労働と飢え、拷問、処刑、密告が日常の「完全統制区域」の方である。そこにいる囚人たちは「絶望種」と呼ばれ、死ぬまで働かされることとなるのだ。
このような場所で生まれ育ったシンは、「生まれながらにして政治犯」であったとも言える。彼は大勢の北朝鮮人たちとは異なり、北朝鮮が偉大な国であり、これを率いる勇猛華麗な首領は世界の羨望の的なのだということすら教わらなかった。国家にとって彼は「洗脳する価値すらない子」であったのだ。
収容所の驚くべき実態、奇跡的な脱出、そして脱北後の苦悩。『ワシントン・ポスト』の元支局長であった著者は、シンの証言をもとに、彼の心に2年近く寄り添いながら本書を書き上げた。
その惨状は、彼の肉体にも生き地図のように刻み込まれている。幼いころの栄養不良が災いして身長は1m68cm、体重は54キロほどしかない。幼児期の労働のせいで腕は湾曲している。背中の下半分と臀部は拷問を受けたときの火傷のあとで覆われている。恥骨上部の皮膚には、火あぶり中の彼を押さえておくために保衛員が突き刺した鈎のあとがある。独房で逆さ吊りにされたときの足枷による傷あとがかかとに残っている。収容所内の縫製工場でミシンを落としたときに保衛員が与えた罰として、右中指は第一関節で切り落とされている。
しかし本当の傷は、別のところにあった。裏切りと密告が善行とされた特別収容所において、彼は大きく人間性を歪められ、闇よりも深い「暗部」を心の底に埋め込まれていたのだ。
それが色濃く反映されているのが、第4章 「脱走しようとした母」、第5章「脱走しようとした母 改訂版」という2つの章。この部分に記述されているのは、冒頭で紹介した母親が処刑されるに至るまでの経緯である。一体なぜ彼自身の口で語り、一度は新聞報道までされた「物語」を、彼は改訂しなければならなかったのか。
「隠しておかなければならないことがたくさんありました。」
「反感を買うのが怖かったら。」
「『それでも人間か?』と問われるのが怖くって。」
そんな心情の吐露とともに、彼は母の脱走を密告したのが自分自身であることを語り始める。心の底にある闇が、一体どれほど深いものであったか。葛藤するプロセスをそのまま章立てに取り入れた本書の構造からも、十分に伺い知ることができるだろう。
希望があるから絶望がある。戻りたい過去があるから、ここから逃げたいと願う。逃走の本質とは、そういった復元力にあるのではないかと思う。だが彼には、落差に打ちのめされるような快適な過去など存在しなかったのだ。それを考えると、シンが逃げ出したいと思うようになること、それ自体が一つの奇跡のように思える。
だが、奇跡は突然やって来た。きっかけは、ある日収容所に来た新入りのパク・ヨンチョル。彼は、北朝鮮政府の上層部に知人がおり、かつて外国に住んでいたこともあるような人物であった。
パクはシンに世界の様々なことを話した。北朝鮮の隣には中国という巨大な国があること、南にはもうひとつの朝鮮があること。お金、テレビ、コンピュータ、携帯電話というものがあること。その大半がシンには理解できず、信じることができなかった。だが、嬉々として耳を傾けたのは食べ物の話である。とくにシンが何度なくせがんだのは、焼肉が出てくる話であった。
人間の生命力とは逞しい。食への欲求が刺激されたことで、新たな希望が生まれる。想像することで、未来を作り出すことができたのだ。
そして二人は脱走を決意する。実行日は2005年1月2日。入念に調べた収容所の境界線。彼らの前に立ちはだかったのは、およそ3メートルの高さを持つフェンスである。高圧電流をかけた7本から8本の有刺鉄線が30センチずつの間隔を開け、背の高い柱から柱へと張り渡されていた。
まず最初に、パクがフェンスを超えようとする。だが数秒後、シンは火花が散るのを見、肉が焼けるにおいを嗅いだ。パクはすでに動かなくなっている。シンはためらうことなく、友人の身体を一種の絶縁パッドとして利用し、その上に腹這いになってフェンスを通り抜けた。彼は一人の友人を失うことと引き換えに、大海原へ飛び立ったのである。
その後シンは北の国境へと向かい、中国を目指す。その成功もまた、時運に大きく左右されるものであった。彼が賄賂をばらまきながら中国をめざしていた時期は、抜け道がたまたま拡大されており、違法の国境越えを果たすには比較的リスクの少ない時期であったのだ。かつて存在していた組織だった公安管理は、飢饉のせいで一部の区域を除き規制が緩和されていたのだという。
シンの逃走劇における行動結果からは、国境における中国の国家レベルでの思惑や個人レベルの実態もよく見えてくる。中国政府にとっては、素寒貧の脱北者が押し寄せてコントロール不能になる状態こそ、恐れるべき状況である。その過程において、自国の最貧地域と西向きの韓国との間にあるべき緩衝地帯が無くなってしまうことを意味するからだ。ところが中国人雇用者は、働き者で寡黙な北朝鮮人が日当60セントで働くとなれば、国家の指示などは喜んで無視したのである。
十重二十重の幸運、こうして脱北したシンは晴れて韓国へと辿りつく。しかし、今度は新たなハードルが彼を襲う。それは適応という問題である。人間性を取り戻すにつれ、彼の過去の記憶は罪悪感と自己嫌悪に取って代わられてしまうのだ。
それに輪をかけるのが、周囲の無関心である。「良いスペック」をひたすら求める西側の競争社会が、彼らを溶け込みにくくする状況を生み出す。無関心もまた、収容所と地続きのように彼を苦しめる要因となっていたということは強く言及しておきたい。
本書を読んだところで自分に何ができるわけでもない、そう思いながらもページを捲る手が止まらなかった。目の前で文字にされていることが、今なお、隣りの国で起きているかもしれないという現実。ノンフィクションとは、かくも残酷なものか。
東アジアの上空から夜間撮影した衛星写真を眺めてみると、北朝鮮は平壌の一角をのぞき、暗闇に包まれている。この暗闇全体に灯りが点るのはもう少し先の話になりそうだが、本書は最も暗黒な部分に強烈なピンスポットを浴びせた一冊とも言えるだろう。
<宇宙からみた東アジアの夜景>
出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE
目を背けたくなるような記述を読みながら何度も考えさせられたのは、このようなショッキングな読書体験を得ることの意味である。それを著者は、下記のように説明している。
大事なことは、北朝鮮という国で死ぬまで働くべく飼育された少年に関する本を読んだ者が、収容所の存在を無視できなくなることだった。
惨状を静かに受け止め、記憶の中にしまいこむ。その中から、きっと強さや優しさが育まれるのだ。そう信じたい。
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北朝鮮第三の都市・清津出身の男女六人の半生を克明に再現したルポルタージュ。描かれているのは、”特殊な国”の”普通の生活”。2010年、BBCサミュエル・ジョンソン賞受賞。
シン・ドンヒョク自身の手による告白手記。韓国で500部程度しか売れなかったことに、シンは相当ショックを受けたそうだ。ちなみに母の処刑に関する記述は、古いままである。
金正日の実子、金正男による数少ない肉声インタビュー。