本書の著者は「文芸評論のかたわら歯科医」もしている。本書の著者紹介やウィキペディアなどでは「歯科医のかたわら文芸評論」をしているとなっているが、まだ四〇才台半ばで二〇冊以上の立派な著作があるのだから、順番が逆だ。歯科医は副業といってもよい。
しかし、この職業紹介の順番はいかにも歯科医のほうが評論家よりも立派な職業だといわんばかりである。実際には全国に十万人近くもいる歯科医にくらべ、食えている文芸評論家などは二桁台であろう。それでもなお、歯科医が先にくるのは国家による認証がいまだ尊ばれるためだろう。日本では芸術であっても、お上のご威光の前では文字通り二の次なのかもしれない。
ところで本書は近代日本の文学者を金銭面から見た評論である。「芸術とお金の”不幸”な関係」という副題がついているが、実際には明治から現代までの日本の小説家や歌人を扱っている。
森鴎外などの兼業作家と夏目漱石などの専業作家。専業作家であっても窮乏のなかであえぐ石川啄木と親からの遺産でのうのうと暮らす永井荷風。それぞれに経済的事情は異なるのだが、彼らが互いに金を貸し合うありさまは滑稽だ。
本書のなかで明治二十年生まれの作家、葛西善蔵は金になる一般的労働には見向きもせず、借金まみれのなか、命を落としてでも「作品」を残したと著者は紹介している。すなわち古代的な名誉が支配する場では、浪費と贈与こそが勝利とみなされていたと著者はいう。
ところで、『武家の家計簿』を書いた歴史学者の磯田道史によれば、幕末期の武士の大半は借金が年収の二倍を超えていたと考えられ、それでもなお互いに莫大な贈答を繰り返したらしい。家来よりも生活費の少ない武家がいたというのである。かれらは経済的には完全に破綻していても子供は七歳から手習いに出した。「子供」を「作品」と読み替えれば同じ風景がそこにある。
そもそも葛西善蔵が生まれた明治二十年とは江戸時代から二十年後であり、今からは百二十年も前なのだ。ちなみに夏目漱石は曲亭馬琴が没してから二十年後の慶応三年生まれ、歌舞伎の白波五人男などで有名な河竹黙阿弥などは明治二十九年に亡くなっている。
我々が近代の文学者だと思っている作家たちははるかに江戸時代の作家に近い存在だった。
しかし、このころであっても森鴎外は「軍医のかたわらの作家」を標榜している。近代文学とは国家の威信の前では弱きものなのかもしれない。