著者は1980年生まれのアメリカ人。リベラル系市民団体MoveOn.orgの理事会長だ。オバマの選挙に積極的に関与するなど、政治的な立場ははっきりしている。本書も第3者の視点で書かれたノンフィクションというよりも、市民の立場から巨大ネット企業に物申すという内容になっている。しかし、そのことを割り引いても本書が指摘するネットの現状は驚くべきものだ。
2009年12月4日、グーグルはユーザーが過去に検索した言葉だけでなく、ログイン場所やブラウザーなど57種類もの「シグナル」を利用して、検索結果を表示するようになった。夫婦が同じ言葉を検索しても、異なるリストが表示されるようになったのだ。より便利になったと言えるかもしれない。しかし、同様の技術を利用して他の企業がネットの裏側で何をしているかを知ると喜んでばかりはいられない。
たとえばDictionary.comで何かの言葉を調べると223個もの追跡用クッキーとビーコンがPCにインストールされる可能性があるという。「うつ病」を調べるとDictionary.comと契約している他のウェブサイトが、抗うつ剤の広告を表示するようになるのだ。ブルーカイ(BlueKai)やアクシオム(Acxiom)は、このような個人情報をデータベース化して収益をあげている。驚くべきことにアクシオムは1人あたり1500項目もの個人情報を保有しており、米国人の96%をカバーしているというのだ。その1500項目の個人情報とは家族の名前、ペットの有無、クレジットカードの支払頻度、右利き・左利き、常備薬などが含まれる。
これらの情報はマイクロ秒単位で、利用したい企業によって競り落とされる。たとえば、ネットショップでランニングシューズをチェックしたら、その情報はデータベース会社に売られる可能性がある。データベース会社はその情報をオークションにかける。その結果、ほかのサイトでもランニングシューズの広告が表示されるようになる。誘惑に負けてランニングシューズを買うと、その情報もデータベース会社に買い取られ、オークションにかけられ、たとえが速乾性ソックスをうりたい企業が競り落とすという具合だ。
これらのデータを利用するのは巨大ネット企業だけではない。たとえば街のレストランがループト(Loopt)やフォースクウェア(Foursquare)などと契約し、ある特定の年齢や趣味をもつ人が近くを通りかかったら、広告を流すということもできるようになるはずだ。「タダほど高いものはない」どころではないのだ。本書は「対価を払わない者は顧客ではない。売られるモノだ」という言葉を使っているほどだ。
ところで、本書の原題は『Filter Bubble』である。企業が個人情報を売り買いしながら利益を上げていることは問題の1つでしかない。より深刻なのは検索結果が「現在の個人」に最適化されることによる情報の遮断だ。本書によれば30歳以下の米国人は36%のニュースをフェイスブックから得ている。しかし、フェイスブックは友達の行動のすべてを表示しなくなっている。エッジランクというアルゴリズムをつくり、ニュースフィードに表示する記事をいわば勝手に選んでくれているのである。あまりに情報量が膨大になってきたので、すべてを表示すると使いにくいというわけだ。
本書はフィルタリングから生まれる状況は創造的な思考に適していないとする。著者はアーサー・ケストラーやハンス・アイゼルグの言葉を引用しながら、創造性とは「もともとあった事実やアイディア、機能、スキルを発見し、選択し、入れ替え、組み合わせ、合成するもの」なのだと説明する。この言葉には合意する。しかし、フィルタリングの特性を知っていれば、むしろ創造性を発揮できるような検索をすることが可能なのではあるまいか。
それどころか、グーグルの上前をはねて「創造性を発揮しやすいメタ検索サイト」などというサービスを創り出せるかもしれない。進化しつづけるインターネットはそのスピードが速すぎるため陰も陽も同時に産み出す。それゆえに現在の陰をよく知ることは、明日の一歩すなわちビジネスチャンスを創り出すチャンスでもある。本書は問題提起の書であると同時に、ビジネスチャンスの書でもあるといっては言いすぎだろうか。
なお、著者はTEDにおいて本書の原題と同じテーマで講演している。
情報過多の時代はキュレーションの時代。