窓を開けてベランダに降りる。と、どこからか熱い視線が刺してくる。振り向くと、部屋から漏れる細い光の輪の外に、真っ黒なヤツらが――カラスである。
数日前のとある夜、突然の雨は、日付が変わるころには大降りになっていた。ベランダにおいてあるペットボトルを取りに行こうとしたのは、そんなときだ。
雨か、あしたのHONZの朝会は六本木で7時から。早く寝なくちゃ。と思いつつ、喉が渇いたのである。がらりと窓を開け、ベランダに降りる。するとそこには、黒い生命体の中でも、いわゆる「G」(ゴ○ブ○)と並んで世間で嫌われがちな存在、カラスがいた。しかも二羽。
じぇじぇじぇ。
『あまちゃん』が終わったからいまこそ使わせてもらおう、3J。
私は驚いた。普通に自分の家に「K」(と称することにする)がいることに、である。そして我ながら思いがけない行動に出た。
「あの、カラスさん……ですか?」
カラスに生物種を問うたわけである。Kは答えず、あさっての方向を向いたまま動かない。そうなると、必然的に私の行動も限られた。目線を外す。動けない。というより、むしろ少々後ずさり気味。カラスさん、ですね。心の中でつぶやく。
ここで思い出したのが、数ヶ月前に読んだ松原始さんの『カラスの教科書』だ。
「え? カラスはお嫌いですか?」という帯のことばに象徴される、カラス愛あふれる一冊だ。その帯にはこうもあった――「大丈夫、しばらく見ていれば、好きにはならずとも、ちょっと興味が湧いて来ます」。
ホントか? ホントなんだろうな? 今見ているんだけど(汗)。
続く行動としては、以下の選択肢が考えられた。
A ポケットのiPhoneで写真を撮って驚かせる(フラッシュつき)。
B ワッ! と声をかけておどかす。
C ペットボトルを投げつけてみる。
アイディアは頭を駆け巡る。が、驚かせた後が問題だ。庶民派の私は億ションに住んでいるわけではないので、自ずとベランダの坪数も限られている。つまり、逆襲にあったら逃げ場がない。C案にいたっては、我が家を破壊するだけである。単なる自損事故。すべて却下!
「からす」は、「から+す」であり、「鳴き声+鳥」を示す古語からきている呼び名だそうだ。また、カラス属(×族)は世界で40種おり、日本ではそのうち7種が確認されている。中でも日本で普通に見られるのは、ハシブトガラスとハシボソガラスの二種類がほとんどだ。なにしろ専門家は、カラスを見れば「何ガラス? ブト? ボソ?」と聞くのだ――。
いまこの瞬間に役立つ情報は全く思い出せないが、確か都会派で大きめなのがブトだった。となると、コイツはブトか。オデコも出てるしね。とりあえず、私は何ガラスなのかを特定することには成功した。
で?
読んだときの記憶を呼び戻そう。本の内容は、最初に“基礎知識”として、カラスの種類や暮らし方があり、結構なるマヨラーだとあった。マヨネーズが好きなのだそうだ。次にあったのが、そうそう、餌をどうとるか、どう隠すかや、クチバシのかたちの話だ。石垣島、西表島や屋久島までカラス観察に行った、ともあった。カラス学者は旅三昧らしい。うらやましい話だ。ただし、観察中はカラスより貧しい食生活という記述もあったので、安易に憧れると大変かも。そして、カラスの遊び方や、文化的な意味づけについても触れていた。
だから? ンなことはこの際どうでもいい。
大事なのは第三章、「カラスの取り扱い説明書」である。肉や果実の色とみなして、ゴミの中に赤やオレンジ色のものを見ると反応するとあった。私の服装は白いシャツと黒七分丈のレギンスなので、この点は安全。食い意地が張っているらしいが、ここにはなにもない。それから、とにかくゴミが大好きで、繁華街には繁殖しやすいらしい。が、この点も駅から15分近く、しかも住宅街のど真ん中なので大丈夫。いや、だからこそここに来たのか? 怒ったときにガラガラと声を出すというが、さっき唸った気がしないでもないけれど、もう大丈夫っぽいしね。
でも、待てよ。
私の友人は、鎌倉でコロッケを歩き食いしていたところ、空からKにカツアゲされたそうだ。また、後から聞いた話だが、友人のそのまた友人のバンドマンで、髪型をリーゼントにしている男性は、リーゼントの先端部分を母ガラスに「敵」と見なされて襲われ、あわや頭部流血の惨禍目前だったとも聞く。思わぬところでスキをついてくる、それがKなのだ。侮るな。
そのときにまた思い出した。説明書には、「カラスから見ると人間はとても大きくて怖い存在だ」とあった。身体的接触を伴う「攻撃」はめったにない、とも。
確かに、さっきからなにも起こっていない。「お互いうまくやりましょうよ」。そうKはメッセージを送ってきている気もする。雨宿りだけですぐ出て行くんで、よろしく。
もしかして、カラスとはわかり合えるのかも。そう感じた私は、ペットボトルを取り出し、部屋に戻ってお湯をわかし、お茶を飲んだ。ほっこり。Kってばいいヤツじゃないか。本のイラスト、担当編集者が描いたと話題になっていたけど、確かに可愛いよね。
ほっこりカラス愛に包まれて、窓辺に枕をおき、外を眺めながら私はいつしか眠りに落ちていた。
そう、目覚まし時計をセットせず、窓を開けたまま――。
翌朝、目を覚ますと、そこは『ごちそうさま』の世界、しかも、なぜか寒気までする。そういや六本木ってどこだっけ……。
網戸を開けると、Kはいなかった。あるのは置き土産の糞のみ。
刊行から10ヶ月、新刊とは言いがたいが本書を紹介したのも、カラスとのつきあい方を世に知らせたいがためだ。朝会欠席の言い訳? 断じてそんな瑣末なことではない。
Kもわるいヤツじゃない(たぶん)。恐れるな。
それが今回のKとの出会い、そして本書から学んだことだ。
みなさんの人生にもいろいろあると思う。一生役立つ一冊として、ぜひ本書をオススメしたい。