2月6日、前代未聞の事件が起きた。中国重慶市の副市長の王立軍がアメリカ領事館に逃げ込んだ。地方政府とはいえ共産党幹部がアメリカに助けを求めたのだ。それも、女装姿で他人に借りたジープを駆って。
「薄熙来に殺される」。
ハリウッド映画もびっくりの展開だが、これは当時の重慶市のトップだった薄熙来とそのファミリーが世界を震撼させる序章に過ぎなかった。王立軍が薄熙来の不正蓄財や国家指導層まで対象とした盗聴、重慶市での冤罪事件の数々の証拠を抱えていたからだ。おまけに薄熙来の妻の谷開来が英国人二ール・ヘイウッドの殺人に関与している物証までも持参していた。
その後の展開は日本でも報じられたのでご存知だろう。公に出来ないことが多すぎるのか、話題は妻の殺人事件に集中。この殺人事件も真相は不明だが、「5000億円とも言われる不正蓄財のもつれで共産党幹部の妻がマネーロンダリングを委託していた英国人を殺した事件」という火曜サスペンス劇場もびっくりな陳腐なあらすじが用意されたため(実際、裁判はこの筋書き)、普段、中国の政治などスルーの日本でもワイドーショーが食いついたのは記憶に新しいはずだ。加えて、薄熙来と谷の息子でハーバード大学に留学中の瓜瓜が白人女性とたわむれるあられもない姿が世間を賑わし、その後、「中国の人気女優チャン・ツィイーが薄熙来と一晩7500万円で援助交際」という出所不明の東スポ的報道も過熱するなど、「さすがにそれはないだろ」という醜聞も聞こえてきた。だが、本書を読むとそれら報道への感覚は一変するだろう。薄熙来なら「ありえる」と。いや、「もっとエグいことをしているのは間違いないね」と思えてしまう。それほど彼の行動はぶっ飛んでいる。
本書は殺人事件を解明するという無理難題に実は挑んでいる。謎解きは興味がないという方も、その前提としての「薄熙来とは何者か」に迫る終盤までは読んでいただきたい。純粋に読み物として面白いの一語なのだ。薄一族を取り巻く現実は小説よりも小説らしく、映画よりも映画らしいのだから。冗談としか思えないような現実がそこにあるのだ。
薄熙来を語るのに欠かせないのが60年代半ばから70年代半ばまで続いた文化大革命。幹部が若者に軒並みつるし上げられたわけだが、当時、共産党の要職にあった薄一波に馬乗りして、飛び上がって蹴りを食らわして肋骨3本をへし折ったのが革命に燃えた息子の 薄熙来だ。負傷した一波は骨折しながらもこう思ったという。「こいつはいずれ国を背負う大物になる」。肋骨でなく、頭を強打した間違いなのではと読みながら思ってしまったが、この骨折事件が薄一族の天下取りの始まりであり、悲劇の始まりでもあったのだ。
薄熙来と切っても切り離せない 父親の薄一波は元副総理で文化大革命後に長期にわたり鄧小平と並ぶ権力を握った元老だ。本書が面白いのは 薄熙来の生涯を描きながら、文革後の中国政治を追体験できる点。薄一波と鄧小平、江沢民の中国の行く末を決める駆け引きは何ともしびれる。天安門事件につながる決断を鄧小平に下させたのも一波。そしてその背後にあるのは「 共産党体制を何としても維持し、薄熙来をトップにすえる」という私情。2007年に99歳で死去するまで暗躍しつづける一波の姿にはあきれるというよりも感心してしまう。
実際、将来を見込んだ息子への親父の猛プッシュは凄い。薄熙来は文革で収監されるが娑婆に戻っても、職がなく、何とか機械修理工場に就職する。工場でも特にモチベーションが高いわけでもなく燻った日々を過ごしていたが、父親が1978年に名誉回復して、79年に副総理にまで登り詰めると躍進が始まる。躍進と言っても単なる親父の引きだが、その引きが凄い。全く勉強していないのに78年に北京大学にいきなり入学するとたった1年で学士を習得。政府シンクタンク系の中国社会科学院の修士課程に進学、2年後には中共中央書記に就を得る。
一波の権力を考えれば、容易いことだろうが、面白いのはそれほど力があっても、その後の薄熙来の出世が早くなかった点だ。むしろ遅い。なぜかといえば、身勝手で偉そうなため周囲に嫌われ続けるのである。経歴を見れば明らかだが、北京のエリートコースから遼寧省の片田舎に突如派遣されたのだがそれっきり遼寧省に20年もいる。その背景にあるのが離婚。工場勤務時代に北京市書記を務めた共産党幹部である李雪峰の娘と結婚したが、薄熙来は親父の復権とともに自分が引き上げられると現在の妻の谷と浮気。「離婚したい」と言い出すのである。妻と李雪峰は当然激怒するわけだが、ここでも一波が司法に手を回して勝手に離婚を成立させてしまう。李は「おれの目の黒い内はあいつはゆるさん」とぶち切れ、さすがの一波もほとぼりが冷めるまでと息子を、遼寧省に配置したわけだ。ところが恨みは怖い。李は97歳まで生きてしまう。そのため、2004年まで帰れないという笑えない状況に陥るのである。
いきなり挫折しかかる薄一族の野望だが、薄熙来には人望のなさを補うだけの行動力があったから厄介だ。遼寧省に行っても「あいつとは口をきくな」と村八分状態に追い込まれるが、ヤクザに接近し、経済開発に走り、大連を「北の香港」と呼ばれるまでに発展させる。80年代末に当時の総書記の趙紫陽がゴルフが好きと聞けば、趙紫陽の名前が入ったゴルフ場を作るし、趙紫陽が失脚するや何の恥じらいもなく名前を変える。時の最高指導者の江沢民が何を考えているか気になって気になって仕方がなくなると、「そうだ」と思いつき盗聴する。単純というか大胆というか。
薄熙来は父親とは切り離せないが、本領を発揮するのは実は死後。北京に呼び戻され、商務部長(大臣)に抜擢され、本人は副総理の座が見えたと喜ぶが重慶市に飛ばされる。こいつは何をしでかすかわからないと薄々感じていた最高指導部が不正の洗い出しに動いており、証拠がどっさりあったからだ。
それでもへこたれないのが 薄熙来。直近にオヤジという後ろ盾がなくなり、一発逆転というか破れかぶれで、取り組んだのが、「唱紅運動」。毛沢東を讃える革命歌(紅歌)を歌おうという運動だ。貧富の差が拡大する中、「あの頃はみな平等で良かった」という大衆層に馬鹿受け。最高指導部の「個人崇拝は絶対に許さない。でも毛沢東は否定できない」という盲点をつき、3・5兆円もの金をつぎ込み、重慶市をまっかかに染めたのだ。もちろん、予算はなくなるので資産家から金を取り上げるのである。この間に600人の経営者を冤罪で逮捕。資産を没収して数兆円の金を巻き上げる。政敵も次々と逮捕、場合によっては死刑にする。「俺は毛沢東になるんだ!!!!」。暴走する薄熙来とそのファミリーだが実は本人たちも気づかない落とし穴があった・・・。
冒頭にも書いたが、著者が最後まで疑問を持つのは薄熙来の妻の殺人動機。一族の個人資産だけで1兆円を軽く超える上に、いくらでも金を生み出す仕組みがある中、些末な金をけちって殺人を犯すのか。本書の終盤では一次情報や中文、英文ニュース、自らの取材をもとに、薄一族が中国では決して超えていけない一線を意図せずに越えてしまったのではないかと疑問を投げかける。ここではあえてその答えは明示しないが、それが中国のトップを目指していた薄の妻が殺人に手を染めてしまった理由であり、薄熙来が全ての公職を解かれる「チャイナジャッジ」を受けた真の理由ではないかと推測する。共産党幹部ならば不正蓄財は多かれ少なかれあるものだし、政敵をつぶすことなど朝飯前。「唱紅運動」は問題はあったが、政権交代前のごたごたを差し引いてもここまで厳しい処分はくだらないはずではないかと。最後の著者の仮説が正しいかは不明だが、今年上半期の話題を不思議な形で集めた薄熙来を通じて中国の政治原理を学ぶだけでも読む価値はある。出世のために、周りに嫌われても、時の最高権力者に気に入られることだけを目的に生き続けた薄熙来に焦点を当てることは暗部も含めた中国政治そのものなのだから。
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中国の最高指導部「政治局常務委員」。その人間関係と権謀術数を踏まえた構造分析は
政権交代前の今、一読の価値あり。