「科学」という言葉は明治初期の啓蒙家である西周(にしあまね)によって発明されそうだ。発明されたと言っても何も無いところから西がその概念まで含めて考え付いたわけではなく、scienceの訳語として発明されたのだ(Wikipediaによると、「哲学」「技術」「芸術」なども西の手による訳語のようだ)。この「科学」という訳語こそが、“日本の科学”と“欧米のscience”の違いを端的に表していると著者は指摘する。
scienceの語源はラテン語の「知識」であり、日本語に直訳するならば「知学」という訳語もありえたかもしれない。西があえて「百科の学」、つまり、ばらばらに細分化されている学問と言う名を付けたのは、日本にこの概念が輸入された時代には、ギリシア哲学にまでその起源をさかのぼるscienceが既に細分化されていたことを象徴している。現在、日本の大学で工学部が理学部よりも発展していること、基礎より応用(実用)が重視されていることは科学と言う名前がもたらす必然なのか。
本書は科学の源流であるscienceの起源となるギリシア哲学(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)から現在まで、2000年超の科学の歩みを振り返りながら、社会における科学の役割を考える一冊である。副題である『半日でわかる科学史入門』が、本書の内容を端的に表している。「科学史」を学校で習ったと言う方は少ないかもしれない(私も大学院まで理系だったにも関わらず、「科学史」の授業を受けた記憶はない)が、科学の視点で歴史を見れば世界史の授業とは異なる点が見えてくる。例えば、近代の幕開けとなるルネサンスは世界史においては15世紀に始まるが、科学史においては12世紀に始まるのだ。しかも、そのルネサンスの発信源はイスラム社会なのである。
本書には数式はほんの少ししか登場せず、より俯瞰した視点から科学と世界の関わりに触れられるので、これまでサイエンス本を敬遠していた人にもおススメである。原理・原則をブラックボックスとして輸入して、実用ばかりを追いかけたことによる弊害が様々なところで出てきている今こそ、科学の歴史を振り返るタイミングではないだろうか。
ちなみに、巻末には科学史を扱った様々な推薦図書掲載されているので、ついついAmazonのポチに手が伸びる。既にHONZの被害を受けている方々はご注意を。