書名にある利己的遺伝子とは、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』のことである。500ページを超えるこの大著を通読した人がどのくらいいるかは分からないが、このタイトルは一度は耳にしたことがあるだろう。30年以上も前に出版された本だが、この本が与えた影響の大きさは計り知れない。高村のレビューした『文明はなぜ崩壊するのか』もドーキンスの提唱したミームという概念が骨格となっている。
「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」
「生物は遺伝子によって利用される”乗り物”に過ぎない」
爆発的なスピードで進歩する科学の世界での30年という時間はあまりにも長い。Wikipediaにも載っているこれらの考え方は、時間の経過とともに様々な批判にさらされてきた。
著者は『利己的な遺伝子』に向けられた批判を以下のように3つに分類して、その1つずつに最新の研究結果を踏まえながら反論していく。
- DNAやRNA単位での役割が明らかになるだけでなく、非DNA分子がDNAに影響を与え、数世代に渡って伝えられることがわかってきた現在において、ことさら“遺伝子”に注目する必然性があるのか
- 遺伝子はシステムとして働くことがより明確になってきたので、システムをつくりだす遺伝子全体を単位としてとらえて、個体や集団を自然淘汰の対象として考えた方がよいのではないか
- 進化の原因は自然淘汰ではなく、DNAやそれを取り巻く環境を含めたシステムの変化ではないか
『先生』シリーズで知られる著者らしく、興味深い動物の生態を織り交ぜながら論が進められていくので、遺伝子や生物学に馴染みの薄い人も楽しめる。例えば、多くのカエルやサンショウウオの幼生には、飢餓状態で同種個体を食べようとする「共食い」行動が見られるそうだ。ただし、この共食いも無差別に行われているわけではなく、自らの近縁個体は共食いの対象となりにくい。なぜこのような行動がとられているのか。著者は『利己的な遺伝子』説に基づいてロジックを積み上げていくのだが、このロジックを追いかけるのが何とも面白い。読了後は普段の何気ない行動もついつい遺伝子、自然淘汰と関連付けて考えたくなるだろう。