毎度のことだが、原題が気にかかる。本書は ” The Watchman’s Rattle ” , 副題が ” Thinking Our Ways Out of Extinction ” だ。「夜警の警笛」 「絶滅からの脱出の道筋について」 といったところだろうか。
著者は東京に生まれ、父親がCIAの工作員をしていた関係で、ヴェトナム戦争中はラオスのヴィエンチャンで過ごした。その後アメリカに戻り、シリコンバレーで起業して、HP、アップル、GE等と一緒に仕事をした。そして会社を売却してリゾート地にこもり、それから6年もの歳月をかけて完成させたのが、本書だ。この本で成功した後、今ではラジオのインタビュー番組「コスタ・レポート」のパーソナリティをしているらしい。
本書が海外で発売されたのは2010年だ。その6年前、執筆が開始された時期といえば、ちょうど『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンドが『文明崩壊』を出したころにあたる。本書は文明の停滞と滅亡に関する本をいろいろ取り上げており、もちろん『文明崩壊』についても言及している。そして、それら全ての本の内容について「賛成だ」と言う。問題は、そこではない。
私が知りたいのは「何が」起こったかではなく、「なぜ」そうなったのかだ。
本書において、著者は、マヤ文明・ローマ帝国・古代エジプト・クメール王朝・明王朝・ビザンティン帝国、数々の帝国を滅亡に導いた直接的な事件の前に、「なんらかの兆候」があったのではないかと考え、それを説明する仮説を提示する。それは大胆な仮説で、タモリさんみたいに「なわきゃない」と言いそうになった部分もあった。でも、論理的に構成されている本より、余程おもしろい。新しい知識を追求するときは、論理の飛躍があって当然だ。それは本書が結論として主張するところでもある。
文明が崩壊するのは、「脳が文明を手に負えなくなる」からだ。本書はそう主張する。マヤ、ローマ、クメール、どの文明も、始めは不利な環境や障害を克服して立ち上がった。その後も予想を上回る困難に遭遇するが、創意工夫や多様性で乗り切っていく。しかし、やがて、潜在的な問題が複雑さを増してきて、正しい解決方法を考えることが難しくなる。そして遂に、文明がもつ知識で解決可能な「認知閾」を越えてしまい、問題を次世代に先送りするしかない状況に陥る。これが、文明の滅亡のプロセスだという。
文明が抱える問題を解決するのはその文明に属する人間であり、さらに言えば、その人間の脳だ。著者は、文明が「問題に対処できる」状況にあるときには、その問題は「左脳と右脳の協力でなんとか解決できる範囲にとどまっている」と見る。逆に、文明が抱える問題が手に負えなくなった状況においては、脳は「スーパーミーム」に頼り始めるという。「ミーム」というのは『利己的な遺伝子』を書いたリチャード・ドーキンスが考えた用語で、人から人へと伝搬する常識とかパラダイムといったところである。「文明の遺伝子」だ。そして、この「ミーム」が社会的に完全に定着したものとして著者が考えたものが「スーパーミーム」である。つまり、もはや意識すらしなくなった世の中の常識が「スーパーミーム」だ。これが悪影響を及ぼし、文明を滅亡させると言う。
いっぽう、文明を崩壊から救うものがあるとも言う。それが、「ひらめき」だ。「ひらめき」が右脳とも左脳とも言えない新しい脳機能であることが、ここ数年でわかってきた。著者は、「ひらめき」が人間の脳の進化の最先端であり、数々の文明が解決できなかった問題を解決する可能性があると考える。将棋にたとえて言うなら、羽生さんの直観みたいなものだろう。現実社会は、無限のマスに無限の駒がある将棋のようなものだ。そのなかで難問に遭遇した場合にも、名人並みの直観があれば、問題解決のために大変役に立つだろう。
しかし、ひらめきを用いて課題解決をしようとしても、それを邪魔するものがある。前述の「スーパーミーム」だ。では、具体的にはどのようなものが現代の「スーパーミーム」だろうか?本書で提示された「現代のスーパーミーム」は、私にとっては、「大企業病の原因」のイメージに非常に近いものであった。我々の文明は大企業病に侵されているのだろうか?本書では、この「スーパーミーム」を乗り越えたケースとして、グラミン銀行のムハマド・ユヌスさんを挙げる。そして、「スーパーミーム」を乗り越えるためには、「短期計画」と「長期計画」が必要だと言う。長期計画が、「ひらめきの活用」である。
ひらめきにはさまざまな特徴がある。本書に挙げられている多数の中から2、3挙げれば、
・ 行きづまったり、袋小路に入ったあとにとつぜん思い浮かぶ。
・ 答えにたどりついた思考過程を説明したり、たどったりできない。
・ ひらめきで得た解決策は斬新で常識にとらわれず、広範囲に影響が及ぶ。
実際に使われる脳の領域は異なるものの、右脳や左脳による解決策と見わけはつかない。
ひらめき脳に関する研究は、始まったばかりだ。本書では、迫りくる森林火災に「迎え火」で対抗した消防隊長ワグ・ドッジを例にあげて、そのひらめきは、左脳の「分析」・右脳の「統合」を超える「新しい認知プロセス」だとする。「それまで見逃していたつながり」を見つけるプロセスだ。
では、どうしたら「ひらめく」のか?脳は、鍛えることができるらしい。UCSFの研究では、脳フィットネスを実行した50歳以上の人は、「神経学的能力」が30-35歳並みに向上したと報告されている。子どもだったら尚更だ。学校の始業前に短時間でも脳フィットネスをやった子どもは、授業の内容を学習し、記憶する事が格段に楽になったという。フロリダ州ジャクソンヴィルでは、2万3000人の子どもたちに脳フィットネスを受けさせて、3年間追跡調査を行った。その結果、脳フィットネスを経験した子の成績は、そうでない子の2倍にも伸びており、さらにその開きは年々広がっていたらしい。ほんとうだろうか?すごいことだ。私も、おそまきながら脳フィットネスをはじめてみようか。いや、自分はその前にフィットネスか。。
なぜ社会が自ら災いを招くような決断で滅びるのかというこの疑問は、UCLAの学部生だけではなく、歴史学や考古学の専門家をも驚愕させている。
環境の変化に適応できなかった文明・できた文明の差は何か。全体最適はしみじみ難しい。
成功例として江戸時代の森林保護策が挙げられているのがちょっとうれしい。