HONZは概ね3つの世代で構成されている。代表・成毛や私、麻木久仁子、今後ちょくちょく登場するだろう阪大・仲野先生などの50代。サラリーマンメンバーはだいたい30代。そして20歳前後の学生メンバーたちである。定例会でも、それぞれの世代でしか通用しない本が紹介されることがある。先日のちょい読みで内藤順が紹介した『ガリ版ものがたり』がいい例だ。内藤がそのときの様子をFacebookに書き込んでいる。
先日の朝会でのこと。ガリ版の名前を出した瞬間に、その場が「ガリ版世代」、「ポストガリ版世代」、「なにそれ世代」の三層に分かれたのが印象的でした。(内藤)
しかし本書を紹介した際、仲間である50代メンバーでさえ「なにそれ?」という顔をした。「あの、連赤問題の本で…」と説明すると「え、連合赤軍事件って連赤問題って言うの」と驚かれる始末。HONZのように、かなりの書籍を読んでいる人でもそうなのか、と驚いた。当然、30代メンバーは歴史の話だし、学生たちに至っては聞いたこともない、という顔をしている。彼らの中にはオウム事件のとき、まだ生まれていなかった人もいるのだ、とそのときに気づいた。
あさま山荘事件から今年で40年になる。学生運動が盛んだった時代、私は小学校の高学年だった。学生たちが東大安田講堂を占拠し、警察との攻防で大量の放水を見たり、ヘルメットにタオルで顔を隠し、ジグザグデモの果てに機動隊と衝突したり、火炎瓶という存在を初めて知ったのも、テレビの中継だった。私の実家は賄いつきの下宿をしていたので、朝、一緒にご飯を食べた学生が夕方には血だらけになって帰ってきたのを見て、震え上がったのを覚えている。そんな経験をしているから、学生運動は他の子供よりずっと身近だった。
この事件経過を詳しくここに記すことは難しい。簡単に説明すれば「赤軍派」と「革命左派」という、後に考えれば相容れないふたつのグループが合体してできた組織で、赤軍派のトップの森恒夫(獄中で自殺)と革命左派のトップで昨年病死した永田洋子が、革命を起こすための訓練を榛名山中で行ううちに、仲間同士の殺し合いに発展してしまった事件である。
メンバーの一部があさま山荘に篭城し、銃撃戦の果てに警察が鉄球で建物を壊して学生たちを逮捕した一部始終は、日本中がテレビにかじりついて見ていた。その後、彼らは山岳ベースで仲間たちを「総括」という名のリンチで大量殺人していたことが発覚した。山中で発見された遺体は12人。死体を掘り起こした跡地に、警察が人型を白い線で書いた画像は、生々しく今でも記憶に残っている。
本書は、講談社の「イブニング」に連載中の『レッド』という作品を描いている漫画家、山本直樹さんの人物ルポを書くために取材をしていた著者が、『レッド』のモデルとなった元連合赤軍事件の当事者たちに魅入られ、刑期を終えて娑婆で暮らしている4人にインタビューを重ねたものだ。
あさま山荘事件の前に山岳ベースから逃走した前澤虎義、兄を目の前で殺された、当時未成年だった加藤倫教、兵士として参加しこの事件に対して積極的に発言している植垣康博、指導者的な立場にありながら、直前に別の事件で逮捕され山に入れなかった雪野健作。それぞれ、学生運動に参加した動機も方法も思想も違っている。しかし、当時は世の中を良くしたい、できるかもしれないという基本の思いは同じだったのだ。
私は著者の朝山実や『レッド』の山本直樹と同世代である。親たちには「あんな不良になるな」といわれても、世の中を変えようと声高に演説する姿はかっこいいと思っていた。盛り上がった70年安保闘争ののち、内ゲバと呼ばれる殺し合いの果て、連合赤軍のリンチ殺人で、学生運動は市民権をなくしたような気がする。
あれから40年経ち、刑を終え60歳をこえて市井に暮らしながらも、彼らの芯にはまだ何かが熾火のように残っている。老年というにはまだ早すぎる。大震災あとの東北にもいち早く足を運び活動している者もいる。それは若い頃に胸に宿した志が残っているのかもしれない。
改めてこの事件に関わり、殺されたり逮捕されたりしたときの年齢を見ると、25歳未満が殆どを占める。改めてその若さに痛ましさを感じてしまう。残されたメンバーの何人かは、記録を残そうと地道な努力を続けている。ひとりひとりの記憶は薄い。しかしそれが重なり合ったとき、見えてくるものがあるに違いない。
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現在6巻まで発売中。
取材された側の著書。
反対に、アメリカ人による研究書。読み比べると相当興味深い。