2年前、与党の議員が911陰謀論を公言し、ニューヨーク・タイムズから厳しく批判された。外交感覚が疑われると同時に、なぜそのような公の場で発言するほど、胡散臭い陰謀説を信じてしまうのか?国会議員でなくとも、秘密結社のうわさ話を聞くと、裏取りの探求への道へ誘われ、いつの間にか頭が混乱して、何が真実かわからなくなることがあるはずだ。
本書では具体的な3つの事例(ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ)をそれぞれ一章を割き、読み解いていく。組織の実態と語り継がれ信じられている陰謀論のギャップには、唖然とすること間違いなし。陰謀論はインターネットで検索すれば多種多様確認することができるので、ここでは実態を記したい。まずはフリーメイソンは近年、会員の減少と高齢化に悩まされている。アメリカではテレビCMやfacebookで会員の募集を行うほどである。またその起源は中世の石工組合であり、職人の組合だった。彼らは当時には珍しくが現場から現場へとヨーロッパ各地を渡り歩く自由があり、各地のロッジを訪ね歩き、仕事を見つけたりしたのだ、さながら現代フリーランスやのノマドとコワーキング・スペースのような関係だ。
何か大きな災害や事件が起こると、たいがいどこからか陰謀論が湧いて出てきて、いつの間にか蔓延する、その拡散にソーシャルメディアの相性は抜群だろう。そうやって手元に流れてきた陰謀論を人々がいとも簡単に信じ込んでしまうその背景にあるのは、自分の意志と関係のないところで変動し、人々を振り回す社会構造があげられる。
国家や公的機関、大企業、権力者たちは、われわれには嘘の説明を信じさせて、裏で何かよからぬこと、われわれの権利や利益や正義を損ない、自分たちに都合のよいように何もかも進めているのではないか。社会は私たちのあずかり知らぬところで、私たちの望みを無視して勝手に動かされているのではないか。このような疑い自体はおそらく、私たちの多くに共有されている感覚なのではないかと思う。
この共有されている感覚が増幅されている、東日本大震災後に必要とされる資質は、陰謀論と真実の見分け方、猛烈な勢いで押し寄せてくる情報の波に対して、健全な懐疑を持つことである。著者はつまらない結論と謙遜して「信じるたいものを信じるだけではだめなのだ」とまとめてはいるが、説得力を感じずにはいられない。