一口にビジネスマンと言っても、最近ではさまざまなワークスタイルを見ることができる。いわゆる会社勤めだけを見ても、フレックス勤務や在宅勤務というものがあるし、フリーランスや起業という働き方もすっかり定着してきた。
とりわけその中でも注目を集めているのが、都市ノマドというスタイルであるだろう。昨今のインフラの充実ぶりを背景に、MacBook AirやiPadでクラウドサービスを駆使しながら、WiFiのあるカフェを点々とする。そんな身軽で自由な生き方が共感を呼んでいるという。
しかしこの東京下においても、お祭りからお祭りへと点々と移動しながら、時には焼きそば、時には綿アメと手を替え品を替え、商いを行ってきたノマドたちがいる。それが本書の題材にもなっているテキヤと呼ばれる人々だ。
「テキヤ殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降りゃいい」とは寅さんの有名な台詞だが、このような不安定な生業を続けていくために彼らが一体どのような慣行をつくりあげてきたのか?本書はそんなテキヤたちの間で継承されてきたナレッジを紐解いた一冊である。ちなみに標題のフォークロアとは民間伝承という意味だ。
著者は新名所・東京スカイツリーの開業に沸き立つ墨東地区にてフィールドワークを何度となく敢行する。取材したテキヤ集団の組織名は本書の中で明かされておらず、仮称で東京会という名称が使われている。また、テキヤの商慣行とは、静岡以東、静岡以西、沖縄の三地域によって大きく分かれ、地域が異なれば常識も大きく異なるそうだ。
まず何といっても気になるのは、テキヤはヤクザなのかということである。本書の調査協力者の一人は、テキヤは「七割商人、三割ヤクザ」と説明したそうだ。これには二つの意味が込められている。一つは、商人と見てよいテキヤが七割いて、商人よりヤクザと見做したほうがよいテキヤが三割いるといった意味。もう一つは、一人のテキヤの中に気質として商人が七割、ヤクザが三割交じっているという意味である。
確かに気質としてはある程度通じる部分もあるのだが、ヤクザは「極道」、テキヤは「神農道」に生きているといった点が大きく異なるそうだ。(※神農は危険を顧みずに百草を嘗めて、人類に有用な薬草をもたらした伝説的な存在)
なお、著者が調査した時点で東京会(仮称)はどの広域暴力団の傘下にも入っておらず、東京地方の典型的な独立したテキヤ集団として、テキヤ社会の内外で知られる「名門」とされている集団であったということは予めお断りしておく。
祝祭空間に集まるテキヤたちは所属する集団や立場は商人ごとに異なっており、商いに対する知識や経験にも差がある。このようなバラバラな商人たちを納得させて、混乱のない、にぎやかだが穏やかな祝祭空間を実現するために、どのような仕組みが設けられているのか?それが本書のメインテーマである。
コンフリクトを回避するための慣行は重層的であり、その基本となるのは個々のテキヤ集団にある内部的な統制である。東京会の正規構成員になっているテキヤたちは皆、親分子分関係を基調とする擬制的親子関係でつながっていて、それを屋台骨として集団が形成されているのだ。
このようなテキヤの集団は一家と呼ばれているのだが、その言葉が指す意味はいくつかある。最も狭い範囲では、露店商いをする単位集団「商業集団一家」、この「商業集団一家」が複数集まってできる中規模の集団「社会集団一家」、さらに「社会集団一家」が集まって東京会に相当する大規模な集団「家名」ができるという構造だ。
「商業集団一家」は、一部に姻戚や血縁者を含んでいる疑似家族のような集団である。この構成員たちは経済効率をあげるために、出店ができる場所が同じ日に複数あるときには分散して商いをするのである。この集団の中でテキヤは「若い衆」→「一家名乗り」→「代目」というように地位を変え、出世魚のように階段を上っていく。
その上位階層にあたる「社会集団一家」では、正式な構成員とみなされるのが「商業集団一家」の一人前の親分だけである。「商業集団一家」を疑似家族とすれば、「社会集団一家」は世帯主である親分たちで構成されているのだ。この中に一人前になっている者同士の序列差による第二の親分子分関係が相まって、集団の結束を強化しているという。
この社会集団一家の序列差を見抜くものとして、名乗り名というものがあるそうだ。一人前になったテキヤは、駆け出しだったころに世話になった親分の名乗り名に自分の姓を書き継ぎ、それを名乗る。しかし、世話になった親分にもさらに親分がいたわけだから、原則を律義に守っていけば「佐藤〇代目 加藤〇代目 後藤〇代目 山田〇代目 鈴木〇代目」といったとてつもなく長いものになってしまうのだ。
名乗り名には個人の系譜関係が表されているだけでなく、集団内部での序列も示されているため、代目披露などの大きな儀礼では、この長い名乗り名を間違えることなく流暢に名乗らなければならないという。また一生涯固定されるわけではなく、変化するということも特徴的である。一家名乗りというような枝分かれの図式や、社会集団一家の親分の死去など、集団による変化のプロセスそのものが名乗り名に表現されているのだ。この拡散と収斂を動的に繰り返しながら平衡を保っていくメカニズムは、本書の最大の見所の一つと言えるだろう。
このようなテキヤの生業活動には、①商人に自律的に働くことによって生活しているという充実感をもたらす点 ②他者との接触を増やすことで社会からの孤立感を鈍らせる点、などの特徴があると著者は分析している。これらが、どちらかといえば都市の中で弱者に位置する彼らにとって、セーフティネットの役割を果たしているという点は注目に値する。
さらに次の段階として重要になって来るのが、テキヤ集団同士の関係の調整というものだ。この調整の要となるのが縄張りというものである。いわゆるショバ(場所)には単一の集団が管理している場合と、複数の集団で管理されているものがあり、後者の方は、相庭と呼ばれている。相庭という慣行を通じて複数のテキヤ集団が互いの立場を認め合い、それによって祝祭空間の賑々しさが増しているのだ。
現在東京東部にあるショバのほとんどは相庭となっており、縄張りも複雑に重なっているそうだ。そのようなケースにおいては、各々の集団が世話人を出し、最も勢力が強い集団の世話人が全体を取り仕切ることとなる。全体を取り仕切る集団は「良い」場所を選ぶことができ、出店経費も軽減されるかわりに、雑用もこなさなければいけないなどのルールがあるのだ。
ちなみに慣習として「良い」場所は、賑わいの中心、たとえば神殿や本堂などに最も近い場所である。しかし慣習的に「良い」とされる場は、必ずしも商売上は良い場とは限らないという。また、そのほかにも小麦粉を使う商品を隣り合わせにしないようにする(お好み焼き、たこ焼き)、ギャンブルの店はまとめて遊興的な空間をつくる(射的、合わせ、片抜き)、綿あめは周囲に飴が飛び散り迷惑なので露店の列からはずれたところに店を出す、などの暗黙の了解事項もあるというから奥が深い。
さらにテキヤとそれ以外の商人である稼業違い、堅気の人間などとの調整というのも存在するのだが、相手が商人であるかぎり基本的には没交渉で、多様性を歓迎するというのが基本スタンスであるそうだ。
このように東京会の「伝統」は商いをするうえでは合理的な慣行の集合体であるが、本人たちがテキヤ稼業に入った当初には予想もしなかったさまざまな場面で個々のテキヤの人生を規定づけることもあるのだという。「伝統」には社会的に排除される要因になりうる因習的な側面と、テキヤ稼業を円滑にする機能的な側面の両方があわさっているのだ。
どのようなワークスタイルを選ぼうとも一長一短はある。その中でもテキヤという伝統的な共同体と昨今の都市ノマドというものの間に共通点がいくつか見つかるのは興味深い事実だ。例えば親分子分の関係はメンターやロールモデルと呼ばれるもので代替されるだろうし、社会集団一家はソーシャルメディアそのもの、一家の中での序列というものも評判に基づくフォロワー数などで測ることできるだろう。
しかし決定的に違うのは、その共同体が変動的なのか、固定的なのかということである。固定された共同体には窮屈さが付き纏う。ひょっとすると若者の「一家」離れ、蔓延する「一家」疲れ等の現象も起きているのかもしれない。それでも、その窮屈さと引き換えに、ネットでは為しえないものが存在しているのだということも本書は示唆している。
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マチンガとは、タンザニアの都市零細商人の総称を指す。彼らの多くは路上で古着などを売って生計をなす。この不確実生、不確定性が突出した都市、瀬戸際が日常であるような日々を生き抜く上で重要なのが、「ウジャンジャ」というもの。狡猾さや賢さを意味する言葉であり、その狡知は都市の路上を埋め尽くす。最初は研究のつもりでマチンガを始めたところ、500人もの常連客を抱えるようになり、結果的に10年も零細商人を勤めあげた著者の体当たりレポート。
テキヤでいうところの「商業集団一家」、「社会集団一家」は、それぞれネットにおけるコミュニティ、ソサエティと同じような機能を果たす。そんなソサエティ、コミュニティの違い、役割などについて詳しいのがこちらの一冊。コミュニティ、ソサエティの違いは、時間観念による差や選択的であるか否か。ちなみに日本のネットの特徴は、コミュニティの性格が強いことであるそうなのだが、社会集団一家にも全く同じ傾向を見ることができる。
日本で最大の日雇労働者の町と言われる大阪・釜ヶ崎に関わる人たちのルポルタージュ。朝日新聞の連載コラム「ニッポン人脈記」に書かれたものがベースである。営んでいたピアノ教室が阪神・淡路大震災で半壊し、何もかもなくしてこの地に流れ着いたピアノ教師、劣悪な労働条件を変えようと立ちあがった労働者、釜ヶ崎をテーマにした漫画を33年間書き続けてきた漫画家など。世にはびこる自己責任論とは正反対の町で記者たちが見たものは?