日本将棋連盟会長の米長邦雄氏が、コンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」に負けたということが話題になったのは、つい先月の1月14日のこと。それからまだ1ヶ月も経たないというのに、早くも対局した本人によって、その内幕の全貌が明かされた。それが本書『われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る』である。
決戦の裏側に隠された興味深いエピソードが、いくつか挙げられている。一つ目は、対戦時に将棋盤の向う側に誰が座ったのかということである。これは米長氏の強い意向により、米長氏自身を強く尊敬している人の中から選ばれた。対面(といめん)に誰が座るのかということは、勝負を左右するくらい大きなことであるそうだ。
二つ目は、米長氏が出がけに奥さんに「私は勝てるだろうか」と聞いたときのこと。はっきりと「あなたは勝てません」と断言されたのである。「なぜ勝てないんだ」と問い返すと、「あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」と言い放ったというから驚く。げに恐ろしきは、勝負師の妻なり。
はたして妻の予言通り、米長氏は敗戦を喫する。その分かれ目は、一手目の6二王にあった。奇策とも評された一手目を放った米長氏の狙いは、一体どこにあったのか?
そして印象的なのは、米長氏による対局後の以下のコメントだ。
我々は、コンピュータソフトがプロを負かすのか負かさないのか、そういうことではなく、最善手を求めていくことが我々にとって一番大切なことだと考えています。よってそれが人間であるかコンピュータであるかということはまったく関係ありません。
一見古風で閉鎖的な印象を受ける将棋の世界だが、今回の対局は将棋界全体としても最善手を打ったのではないかと感じる。実に爽やかな読後感だ。