この本に書かれているのはファクトである。人間の主観を逃れた完全に客観的なファクトなど存在しないが、著者は可能な限り、様々な利害から離れて中立的、客観的であろうとしている。客観的といっても「東大話法」のように自分を神の視座に置いて他者批判に終始するのではなく、自らの手で広く認められているファクトから“真実”を紡ぎだそうとしている。広島、長崎、そしてチェルノブイリで収集されたデータを基に、被ばくと発がんの関係をできるだけ多くの人が理解できる形で分かり易く解説しようとしている。
どのような現象が統計的に有意な量で観測されており、どのような合意が科学者間で得られているのか、そして、何が分かっていないのかを知ることで、より良い意思決定が導かれるはずだ。読んでいてワクワクドキドキできる楽しい本ではない。それでも、印象や肩書、話し手の涙などではなく、「科学」に信を置く、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。3・11後を生きる我々は本書の内容を知っておく必要がある。
長寿化に伴って、現在の日本人の死因第1位はがんである。なにしろ、日本人の2人に1人はがんになるというのだから、がんを恐れない方がおかしいのかもしれない。今回の原発事故においても、多くの人が心配しているのは被ばくによる発がん率の上昇だろう。では、そもそもがんとは何なのか、どのような原因で発生するのか、放射線がどのようにがんをもたらすのか。現代の科学を総動員してもこれらの問い全てに答えられるわけではないが、明確に言えることも少なくない。
例えば、100ミリシーベルトの放射線を浴びればがんによる死亡率は0.5%上昇することが分かっている(発がん率上昇以外の健康被害はない)。0.5%が高いか低いかは科学ではなく、その人の人生観で判断することだが、そのリスクが喫煙や肥満よりもずっと小さなものであることは科学で断言できる。また、被ばく量が100ミリシーベルトよりも大きくなれば大きくなるほど、発がんリスクが上昇することは多くの科学者の合意するところだ。250ミリシーベルトまでの被ばくを許容する作業環境にある原発事故処理作業員には、しっかりとした被ばく医療によるケアが必要である。
しかし、現在多くの人が関係があり、また関心のある、100ミリシーベルト以下の低線量領域における被ばくの影響に対する見解は一致していない。100ミリシーベルト以下の領域においても被ばく量に応じて発がんリスクが線形で増加するのか、それとも一定の閾値が存在する(一定量以下の被ばくでは発がん率は上昇しない)のかについては、専門家の間でも意見が対立している。今後も恐らくこの領域に対して明確な結論は出ないだろう。なぜなら、例えば10ミリシーベルト以下の領域で発がん率が増えないことを証明するためには500万人分のデータが必要だからだ。ただし、100ミリシーベルト以下の被ばくによる発がん率の増加は、科学的には確認されていないことは改めて強調しておきたい。広島、長崎の長年にわたる調査においても、より低い線量の被ばくによる発がん率の上昇を示すデータは存在しない。
明確なことが分からないのであれば安全側を採用すべきだ、という意見はある意味で正しいのかもしれない。避けられるリスクは避けるに越したことはない。しかし、この世の中のリスクは被ばくによる発がん率の上昇だけではない。チェルノブイリ原発25年目にロシア政府がまとめた報告書ではこのように結論付けられている。
「放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といった、チェルノブイリ事故による他の影響のほうが、はるかに大きな損害を人々にもたらしたことが明らかになった」
もちろん、当時のソ連政府が初動対策を怠ったために小児甲状腺がんが急増したこと、決死隊として鎮火に当たった作業員134名のうち28名が急性放射線障害により事故後3ヶ月以内で死亡したことは間違いない。しかし、一般市民へのチェルノブイリ原発の放射線被ばくによる健康被害はこの小児甲状腺がんの増加(6000人が発症し15人が死亡)だけなのである。つまり、巷で囁かれる膀胱がんの増加や子孫の世代への被ばくの影響の遺伝は、科学的には確認されていないということだ。
しかも、この小児甲状腺がんの増加は政府が事故を公表せず、食品規制が遅れたために、放射性ヨウ素を含んだ牧草を食べた牛の乳を多くの子どもたちが飲んだことが原因である。ヨウ素の半減期は8日と短く、事故直後から避難や牛乳などに規制が行われた福島で、「小児甲状腺がんが増えることはない」と著者は結論付けている。
小児甲状腺がん以外の発がん率が上昇しなかったチェルノブイリで、避難民を中心として平均寿命が顕著に下がった理由にこそ我々は注目しなければならない。年間被ばく線量が5ミリシーベルトという福島の4倍も厳しい基準で強制避難を余儀なくされた多くの人々は、見知らぬ土地で経済的不安定な状況のまま、必要以上の放射能の恐怖、周囲からの冷たい目にさらされ続けた。この社会的・精神的負担もしっかりとリスクとして認識しなければならない。避難の基準を緩和していれば、避難にかかった資金を経済支援や被ばく医療に活用できたかもしれない。
原発事故については多くの科学者、専門家の責任が問われている。その責任についてはしっかりと検証する必要があるだろう。何が避けられたのか、何が避けられなかったのかを明らかにして、今後の科学、科学者のあり方を考えることは重要だ。しかし、責任があるのは科学者だけだろうか。黙れ!と言われても情報を発信し続けた早野龍五氏や著者率いるチーム中川に対して、「御用学者」のレッテルを貼り、罵詈雑言を浴びせた側に責任がないと言えるはずがない。科学者がいくら正確な情報を分かり易く発信しても、情報の受け手たるわれわれが事実に目を向けなければ、その情報は価値を持たない。
「おわりに-福島を日本一の長寿県に」で著者はこのように語っている。
選択をせねばならない状況に置かれた際、本書がみなさんにとってひとつの判断材料となれば、本望です。
判断するのは、科学者ではない。わたしたちひとりひとりだ。