今週末も、HONZ学生メンバー合格者が応募の際に書いたレビューを掲載します。
一色麻衣さんのレビューです。
たった五分でも遅刻したら、待ち合わせの相手はあまりよい顔をしない。ビジネスの場面ではありえない醜態だし、友人相手でも失礼に当たる行為だ。現代の私たちにとって、時間を区切って行動することは自明の理だが、それはいつ頃からの習慣なのだろうか。この本では、あまりにも身近な時計というもの、ひいては時間の感覚というものについて分かりやすく語っている。
筆者はまずシンデレラの童話を例に挙げる。十一時四十五分になるや否や、シンデレラは脱兎の如く王子の元を去ってゆくわけだが、シンデレラはどのようにして時間を知ったのだろうか? 文中には鐘の音を聞いたからと書かれているが、十五分刻みの正確な時計がシンデレラのいた時代にはあったのだろうか? いやそもそもシンデレラに魔法をかけた魔女は、なぜ一分でも遅れたら魔法が切れるという厳格なルールを課すことができたのだろうか? 私たちの時代には、一年の誤差が十五秒などという正確な時計があるから、一分刻みで時を測ることができるけれど……。
というような、言われてみれば確かに、という疑問を元に考察を深めてゆく。この「言われてみれば」が溢れているのがこの本で、読み進めてゆくと幾度も想像を巡らす場面に遭遇する。それもまたこの本の楽しみ方だろう。
さて、時計というものはいつから生まれたのだろうか。遡れば日時計、水時計など様々な仕組みが出てくる。江戸時代では1626年から鐘で時を知らせるようになった。その当時は、日本において時間は共同体のものだった。隣の集落と交代で水田に水を引くなどという共同作業の場合、お互いが水を引ける時間というものを正確に把握していなければならないからだ。とかく集団行動の多い日本において、時間は個人のものというよりは、皆の行動を秩序立てるものという位置づけだったのである。
ヨーロッパにおいては機械時計が出現し、定時で労働時間を定めていたものの、ブルジョワ階級が時計を占有し、労働者を騙しながらこき使っていたという。しかし時計が一般に普及するようになると、昼の時間と夜の時間、つまり仕事と遊びが明確に分けられるようになり、そこから個人が時間を所有するようになってゆく。分かりやすいのがポータブルな時計、すなわち懐中時計や腕時計というものの存在だろう。これが一般的になってからは、人々は細かい区切りで時間を測るようになったと言われている。
日本は明治維新の際に、西洋の時刻制度と暦が取り入れられた。と同時に西洋の時計がどっと入ってくるわけだが、明治40年頃までは、腕時計はその希少性や装飾性から、知識人のステイタスシンボルとしての役割が強かったそうだ。今でもその片鱗はブランド物の腕時計をもてはやす風潮に見え隠れしている。
最初は水や日光でぼんやりと測っていた時間だが、航海というものが一般的になってくると、正確な時計が必要となってくる。だから王家や国家が報奨金を与え、正確な時計を追い求め、そして制海権を手に入れようとしてきたのだ。このようにして時計というものの精度が上がるにつれ、時間はどんどん小刻みになってゆく。時間の測り方が正確になってゆくと同時に、私たちの行動もまたある種の束縛を受けるようになり、新たなライフスタイルを生み出すのだ。
江戸時代ではかつて、旅好きな江戸ッ子のために、何と紙製の日時計が旅の冊子にふろくとしてついていたらしい。その頃時間は和やかに、あくまで生活を便利にするものさしとして流れていた。だが、今私が持っている秒単位の誤差しか認めない時計は、もはやそんな悠長な時間の刻みを許してはくれない。