「もうこれ以上面白い本を紹介しないでくれ」
「こんなに大量の本を紹介されたら破産してしまう」
昨年HONZによせられた苦情である。しかし、こんな苦情を聞くとメンバーは更に奮い立つ。レビューにはより熱がこもり、紹介する本は日を追うごとに増えていく。HONZ紹介本をいちいちムキになって買い続けていると、きっと色々なものを失ってしまうので、皆さんも新年のお酒とポチリはほどほどに。「新刊ちょい読み」で投稿しまくっている内藤順などは既に様々なものを失っているはずだが、被害はメンバー内にとどめたい。
HONZは複数のメンバーで運営されているが、たった1人で冗談のようなペースで本を出し続けているのが本書の著者、長沼毅である。特に、2011年7月以降の出版ペースは尋常ではない。わたしが購入したものだけでも、7月には『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』『形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか』、10月には監修者として『鉄は魔法つかい』、11月には『14歳の生命論 ~生きることが好きになる生物学のはなし』、そして12月に本書である。論文は書けているのだろうか、研究は進んでいるのだろうかと、余計なお世話が頭に浮かぶ。
量だけでなく、その内容どれもがHONZで紹介したくなるほど面白いのだから手に負えない。身体も思考も縦横無尽に飛び回るその著作からは、科学の面白さ、生命の不思議さがひしひしと伝わってきて、子供のようにドキドキしてしまう。わたしも『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』『鉄は魔法つかい』に続いて、この本で既に3冊目のレビューである。このままでは私の「おすすめ本レビュー」が長沼本だらけになりそうなので、「おすすめ長沼本レビュー」というカテゴリーを編集長につくってもらう必要があるかもしれない。
そんな長沼ファンは、本書を読んで驚くことになるだろう。なぜなら、生命の素晴らしさを優しく教えてくれるニコニコした長沼先生が今回は随分とピリッとしているからだ。本書での著者の姿勢は挑戦的であり、刺激的な言葉がずらりと並ぶ。インコースぎりぎりに投げ込まれる著者の言葉に、いつもとは違う高揚感を覚える。
「僕は人間中心のエゴイストなので、はっきりいって、たとえば生物の96%の生物種が死んで、絶対数として人類だけがどんどん増えてもかまわないと考えます。」
「地球温暖化はそのままにしておいてよいと思っています。」
「われわれの種には残虐な血が流れているのです。」
いつか必ずやってくる氷期を我々は乗り越えられるのか。その日に備えてできることはあるのか。ホモ・サピエンスは生き残り、そして、進化することができるのか。あらゆる常識に疑いの目を向けながら、人類の進化の可能性を探っていく。人類の未来に対する危機感と、それを上回る希望に溢れた一冊である。
生を知るためには死について知る必要があるように、進化を考えるためには絶滅について考える必要がある。
人類が原因で生物種が大量に絶滅していると言われているが、1万年以上前までは平均0.01種/年だった絶滅のスピードが、現在は約27,000種/年であるという事実は確かに衝撃的だ。人類の総体重が全生物種の10%以上、家畜など人間のために生きている生物をあわせると20~30%にも上るというのだから、生態系に影響を与えない方がおかしいのかもしれない。生態系を外的変化に対して安定させるために、生物多様性は非常に重要なものであると言われているが、それがいま危機に瀕しているのだ。
憂慮すべき事態に思えるが、ここで著者は読者に問いかける。
「多様性のあるシステムが安定しているなら、なぜ人類の登場という外的変化でその多様性が失われてしまうのか?人類は例外なのか?変化のない時代に弱い生物が増えただけなのではないか?」
多様性があろうがなかろうが、撹乱が起これば弱いものは死ぬだけだと著者は続ける。そして、進化したものが生き残るのではなく、生き残ったものが進化したものなのだ。生物種のなんと96%が絶滅した「生物界史上最大の絶滅」と言われる二畳期末の大絶滅の後には、恐竜の大繁栄が待っていた。そしてその恐竜の絶滅の後には、哺乳類の時代がやってきた。「ゆとりスピーシーズ」が生き残れるほど生物界は甘くない。
では、われわれホモ・サピエンスは今後の生物界を生き抜くことができるだろうか。
チンパンジーとホモ・サピエンスの遺伝子は99.7%が同じである。つまり、その違いはたった0.3%しかない。では、この0.3%には何が入っているのだろうか。確かなことはまだ言えないが、手がかりはいくつかある。例えば、相手の動作や仕草から、相手の気持ちを推し量ることのできる神経細胞、ミラーニューロンはホモ・サピエンスの方が圧倒的に発達している。さらに、オキシトシンやバソプレシンなどの「協調ホルモン」と呼ばれる、「他人と協調すると快楽を覚える」脳内麻薬の働きの発達も見逃せない。これらの発達がもたらす協調性にチンパンジーと我々を分ける鍵があると著者は考える。
しかし、人類の歴史を振り返ったときに、我々は十分に協調的だと胸を張って言えるだろうか。2度の世界大戦だけをみても、チンパンジーよりも我々の方が凶暴なのではないかと思えてしまう。一方、わが身を捨てて他者を助けようとする人間も確かに存在する。協調性という素晴らしい特質をわれわれは中途半端にしか持ち合わせていないのだ。このままでは、本当の危機を前にすれば助け合うことは難しいのではないか。そのため、協調性のある遺伝子を意図的に選択して、より理想的なホモ・パックス(平和を愛する人類)へ進化することを著者は願っている。
優生思想と結びつく過激な意見にも聞こえる。著者は慎重に、しかし、ひるむことなく大胆に議論を進める。協調性によって産み出された文明が必然的に閉じこもる性質を備えているならば、このように大胆に殻の外に出ようとする人間がいなければ、われわれは一歩先へは進めない。自分たちの理解が及ばない領域に大半の人は畏れを抱くだろう。しかし、そのような領域へ嬉々として飛び込んでしまう好奇心が文明をここまで発達させた。我々の祖先が好奇心の赴くままアフリカから出て行かなければ、現在の人類の繁栄はなかっただろう。進化するためには、好奇心は止めるべきではない。そもそも、止めることなどできはしない。
190Pとコンパクトな新書だが、思考がしっかりストレッチされる。
お正月にしっかり休めた頭を本書で叩き起こしてはいかがだろう。
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えっ!?ご冗談でしょう。また新刊ですか?なんだか今月もう一冊出るみたい。この調子だとその内『月刊長沼毅』が出そうな勢いだな。
人類600万年の歴史が非常にコンパクトにまとめられた良書。学校の授業以来、進化についての知識を更新していない人はここから入ると、他の進化本にも戸惑うことは無いはず。あまりに多くの出版物があり、玉石混交ではあるが、やっぱり日本の新書文化は素晴らしいと思う。
タイトルが素敵である。内容も文句無しに面白い。「強いものが生き残る」ことが進化であると考えがちだが、ある段階で強いということは、その時点での環境に過剰に適応しており、少しの環境変化で大きな影響を受ける可能性を孕んでいる。ビジネス、経済での栄枯盛衰にも話が広がりを見せる。
我々はもはや進化していないように感じられるかもしれないが、むしろここ1万年で人類が劇的に進化していることを解き明かす1冊。副題にあるように人口が爆発的に増え、文明が発達した今こそ我々は進化しているのだ。『私たちは進化できるのか』と同様、アシュケナーク系ユダヤ人に注目している。