クラシック音楽がいいのだ!『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

2011年12月28日 印刷向け表示
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小澤征爾さんと、音楽について話をする

作者:小澤 征爾
出版社:新潮社
発売日:2011-11-30
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気のおけない仲間との音楽談義は楽しいものだ。知人の部屋に上がり込んで自慢のコレクションを物色しつつ、あるいは銘々がとっておきの名盤や珍演奏を持ち寄り、聴き比べては悦に入る幸福。

音楽は万人の前に等しく微笑みかける。本書で小澤征爾と村上春樹がくつろいで語らい合う様子からも間違いなく言えるのは、二人もマエストロと小説家である以前に、我らと同じ音楽愛好家だということだ。

とは言え、一介の聴き手と世界のオザワとが大きく異なるのは、スピーカーの向こうにいる著名な指揮者や演奏家が自身の師であったり共演仲間であったりする点だろう。現に小澤は、アシスタント指揮を務めたバーンスタインは敬愛の意を込めて「レニー」、弟子入りしていたカラヤンは「カラヤン先生」、グレン・グールドを「グレン」と呼ぶ。

音楽ファンにとっては別世界のスター達やレジェンドも、一時代をともにした小澤にとっては身近な存在だ。とっておきの楽屋ウラ話から彼らも「人の子」なのだと漏れ聞こえれば、我々もレジェンド達とお近づきになれたような気になれる。そんな、ちょっとウレシイ距離感が新鮮だ。

他方、村上春樹も相当に音楽を聴き込んでいる。『1Q84』ではヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、『海辺のカフカ』ではシューベルトのピアノ・ソナタやベートーヴェンの「大公トリオ」がモチーフとして登場する。

本書でも、そこはさすがの村上春樹。「小澤のアメリカでの最初のレコーディングは、ハロルド・ゴーンバーグというオーボエ奏者の伴奏」なんて細かいことも、「60年代前半のニューヨーク・フィルの音がとりわけ硬質で攻撃的だった」なんて古いことも、「ゼルキンが死んだのは91年だから、演奏の1982年録音のときは79歳だった」なんて音楽家のこともよく知っている。そんな村上に触発され、小澤との会話もみるみる弾んでいく。

まずはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をめぐる対話から。こちらは村上の自宅にてレコードやCDをかけながら、二人だけで膝をまじえて語るという形式で行われた。

協奏曲の見どころは、何と言ってもソリストと指揮者との「対決の妙」ではないだろうか。両者の個性が目まぐるしく衝突し、また混じり合う。独奏者の歌いまわし・テンポのゆれに対し、指揮者とオケ伴奏はときに寄り添い、ときに手綱を引き締め、といった掛け合いも愉しい。

以下、本書で紹介されている音源とは異なる点はご了承いただきたいが、音声動画を交えて二人の対談をここに再現してみよう。

まずは、鬼才グレン・グールド演奏から。

(※Youtube上の英語コメントによれば、ジャケット写真はカラヤン指揮のCDだが、演奏は別音源のバーンスタイン指揮のレコーディングのようだ。)

4分35秒あたりからがカデンツァ。最終部分では、音のペースがめまぐるしく変化する。

村上 「このあたりの音の取り方はもう自由自在ですね」

小澤 「ほんと、天才的です。納得性あるし、ね。実は楽譜に書いてあるのとはだいぶ違うことをやっているんです。でもそれが変な風には聞こえない」

村上 「楽譜にないというのは、それはカデンツァとか独奏の部分だけじゃなくて」

小澤 「うん、だけじゃなくて。それが立派ですよね」

同曲の聴き比べは続く。ゼルキンとバーンスタイン、インマゼール(フォルテピアノ)と古楽器の演奏、再びゼルキンと小澤征爾、と来たところで、続いて内田光子の演奏は第2楽章から。

(※本書ではザンデルリンク指揮、コンセルトヘボウ演奏の音源が紹介されているが、動画はラトル指揮、ベルリンフィル演奏の別バージョン。)

静かな、たおやかなピアノ独奏が始まる。

小澤 (すぐに)「音が実にきれいだ。この人って、ほんとに耳がいいんですね」

村上「この人のタッチはクリアですね。強い音も弱い音も、どちらもはっきり聞こえる。ちゃんと弾ききっている。曖昧なところがない」

小澤「思い切りがいいんです」

本書では演奏の登場がなかったクリスチャン・ツィマーマンについても二人の会話は及ぶ。センスの良い、知的なピアニストだ。

(※動画は指揮: バーンスタイン、ピアノ: ツィマーマン)

小澤 「そういえば僕はウィーンで、彼がバーンスタインと一緒にブラームスのピアノ協奏曲をやったのを聴いたな」

村上 「それは知らなかった。でもベートーヴェンの協奏曲の場合は、ほぼ完全にバーンスタイン・ペースに音楽になってますよね。ツィマーマンのピアノも端正で素晴らしいんだけど、ゴリゴリ前に出てくる人じゃないし、やはり結果的にオーケストラが音楽全体をコントロールしているという気がしました。ツィマーマンはバーンスタインと気が合ってやっているみたいですが」

小澤 「僕はボストン時代にツィマーマンとすっかり仲良くなってね。彼もボストンが気に入って、ボストンに家を買って移ってくるみたいな話にもなったんです。(略) で、二ヶ月くらいあちこち家を探していたんだけど、なかなか適当な家がみつからなくて、それで結局あきらめました。(略) でも惜しいことをしたな、あれは」

クラシックファンにとっては、小沢征爾やツィマーマンとご近所づきあいできるなんて、まさに夢のような話。(いいなぁ……)

二人の音楽談義の合間に挟まれるコラム「インターリュード」も味わいある読み物。「文学と音楽との関係」のくだりでは、「文章の書き方を音楽から学」び、「文章に一番大事なものはリズムだ」と語る村上。

小澤 「文章のリズムというのは、僕らがその文章を読むときに、読んでいて感じるリズムということですか?」

村上 「そうです。言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。(略) 僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いていきます」

ある選挙候補者のマニフェストがどうがんばっても三行しか読めなかったという小澤。「この人は駄目だなあ」と思ったらしいが、それが要するに「リズムがない、流れがない」ということ。政治・経済界にもっと音楽を!機械のマニュアルにセミナーの研修教材など、「退屈だが読まねばならない本」の世界にリズム感ある文章の活躍する余地はありそうだ。

(※マーラー 交響曲第2番 新日本フィルハーモニー 指揮:小澤征爾)

グスタフ・マーラーは、音楽愛好家にとっても一筋縄では行かない作曲家。とがったアゴにやせて神経質そうな顔、いずれも典型的な精神分裂症に見られる特徴だ。死への恐怖からか、9作目の交響曲は「第9」ではなく「大地の歌」と命名。(←ベートーヴェン、ブルックナーなど著名な作曲家が第9交響曲を世に送り出した後に他界しているジンクスを意識しての験担ぎか。) 交響曲第5番のアダージェットで静謐に愛を歌い上げ19歳年下のアルマを見事ゲットしたかと思いきや、晩年にはそのアルマの不倫が発覚し、未完の交響曲第10番では嫉妬と煉獄の炎に身を焦がしている。(←しかも、やっぱり第10は未完だし……。残念!)

おまけに彼の交響曲は尺がやたらと長い。演奏時間が1時間以内にまとまっているのは、せいぜい第1と第4。第2・第3・第8の交響曲は1時間半以上である。曲調も第7番は陰々滅滅状態で、第5番は支離滅裂。躁鬱症の精神状態を反映してか、楽曲中で恐怖・怒り・笑い・憧れ・夢想が突発的に変化する。

あるとき、私が交響曲第2番をヘッドホンで聴いていた折、クラシック音楽に馴染みのない知人が通りがかり、(「あなたもモノ好きね(呆)」というトーンで)

「そんな90分以上もかかる曲を聴いている間、一体何を考えているのか?」

とたずねられたことがあった。

考えるも何もあったものではない。こちらはマーラーの交響曲に浸るのが目的で、それ以外に説明の仕様はないのだ。

「カップラーメンの出来上がりは3分、NHK連続テレビ小説は15分、そしてマーラーの交響曲は90分超」

と昔から私の中で相場は決まっており、単純にそれだけの時間がかかるということだ。そこに理由などない。90分あまりの間、ただマーラーの世界に没入し、そこにたゆたう。

納得いかない? よし分かった、ここは小澤征爾に助け船を乞おうではないか。氏曰く、

小澤 「結局ね、マーラーってすごく複雑に書いてあるように見えるし、またたしかに実際にオーケストラにとってはずいぶん複雑に書いてあるんだけど、でもマーラーの音楽の本質って言うのはね―こういうものの言い方すると誤解されそうで怖いんだけど―気持ちさえ入っていけば、相当に単純なものなんです。単純っていうか、フォークソングみたいな音楽性、みんなが口ずさめるような音楽性、そういうところをうんと優れた技術と音色をもって、気持ちを込めてやれば、ちゃんとうまくいくんじゃないかと、最近はそう考えるようになりました」

小澤 「僕が言いたいのは、マーラーの音楽って一見して難しく見えるんだけど、また実際に難しいんだけど、中をしっかり読み込んでいくと、いったん気持ちが入りさえすれば、そんなにこんがらがった、わけのわからない音楽じゃないんだということです。ただそれがいくつも重なってきていて、いろんな要素が同時に出てきたりするもんだから、結果的に複雑に聞こえちゃうんです」

御意。要は、奏者も聴衆も彼の音楽に没入せよということだ、と私は解釈した。世界のオザワにお墨付きまでいただいては、私とマーラーのこれまでの付き合いもまんざらではなかったと言えそうだ。

また、マーラーの音楽はユニヴァーサルで世界市民的ではないかという村上の指摘。

村上「マーラーの音楽には実にいろんな要素が、ほとんど等価に、時には脈絡なく、ときには対抗的に詰め込まれていますよね。ドイツの伝統的な音楽から、ユダヤの音楽から、世紀末の爛熟性から、ボヘミアの民謡から、戯画的なものから、滑稽なサブカルチャーから、シリアスな哲学的命題から、キリスト教のドグマから、東洋の世界観まで、とにかく雑多にすし詰めにされている。どれか一つだけを抜き出して中心に据えて、ということが出来ませんよね。ということはつまり、何でもあり……という言葉は悪いんですが、非ヨーロッパ系の指揮者にも、そこに自分なりの切り口で食い込んでいける余地は十分にある、ということなんでしょうか? そういう意味でマーラーの音楽はユニヴァーサルなんじゃないか、世界市民的なんじゃないかという気もするんですが」

小澤 「それはねえ……、そこは複雑なところなんです。でも僕はそういう余地はあると思いますよ」

バッハベートーヴェンブラームスワーグナーと引き継がれたドイツ・ロマン派の系譜はリヒャルト・シュトラウスで終結する。19世紀末にその伝統が爛熟していくさなか、マーラーも交響曲を作曲する中で伝統の破壊者としての役割を担っている。(用いられた手法としては、声楽パートの多用、従来の交響曲形式からの逸脱(4楽章を超えた楽章編成)・膨張(長大な演奏時間)、ハンマーをはじめ象徴的な打楽器の使用、等々。)

ここでもうひとつ穿った見方をすれば、「音楽において、西洋の伝統が崩壊することで楽曲が普遍性を持ち、非西洋人(である日本人)の活躍の機会が拓かれる」というロジックが成り立つのであれば、他の分野にも同様のアナロジーが援用できるのではないだろうか。たとえば、欧米先進国が失速し新興国が台頭するといった資本主義経済の枠組みに留まらず、政治・科学技術・芸術・スポーツなど。従来の「伝統」が揺らぎ多様な価値観が入り混じる今の世界だからこそ、非欧米型の「伝統」の流れをくむ我々日本人にも新たな活躍の場が生じているはずだ。

本書では二人の話題がしばしば本論から逸れてテーマが多岐にわたっているが、そんな「脇道」にこそ読み手にとってのインスピレーションの種がちりばめられているハズ。音楽論のみならず、文学論・比較文化論・歴史学など、人によって様々な観点から読める一冊。音楽から、そして話者から、我々が感じ取れるもの、学べるものは数多くあるはずだ。

締めくくりのボーナストラックは、本書でもたびたび登場した世界的ピアニスト内田光子と、マエストロ小澤の共演。豪華絢爛なこの調べに乗せて、マエストロの健康回復と、世界に挑む日本人のますますの活躍を祈念いたします。

皆さま、どうぞ良いお年を!

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